先日テレビで「日本には寄付をする文化がない」という話をしていた。でも子供の頃から学校では「赤い羽根募金」や「緑の羽根」募金はあったから「そんなことはないんじゃないの?」と思った。しかし欧米、特にキリスト教圏では毎週礼拝に行くたびに教会で寄付の箱が回ってくるので小さい頃から寄付をするということは日常的なことで取り立てて特別なことではないという慣習があるらしい。

日本では神社にお参りに行くとお賽銭を投げ入れて神様に祈るという文化があるが、「お賽銭をもっとはずんでおいたほうが願いが叶うんじゃね?」というようなどちらかというと唯物的な”お願いをする対価”の意味合いが強いような気がする。そう考えると、代償を求めないで純粋に寄付をするという文化はあまり感じられない。小学生の頃も「寄付をすると赤い羽根がもらえるから」といった唯物的な側面も大きかったような気がする。

そんなボクも数年前から寄付をするようになった。キッカケは東日本大震災だった。当時サラリーマンでボランティアに行く時間も取れなかったボクにできることといえば”お金を出す”ことしかなかった。その後は天災やテロなどで被害が報じられるごとに少額の寄付をするようになったのだが、その度に「今度はどうしようかなぁ」などと考えるのも面倒になってユネスコや日本赤十字、国境なき医師団などにほんの少額だが毎月定期的に寄付をしている。

もっとも寄付といっても小銭程度の金額なのでそれがどれくらい役に立っているのかはわからない。どちらかといえば「オレは寄付をしているんだ」という自己肯定感のためだけにやっているようなものである。何もしていないよりは誰かの役に立っているかもしれないという自己満足に過ぎない。それは生きているうちに功徳を積んでおけば極楽に行けるかもしれないという利己主義的な考え方にも似ている。

西洋人、特に北欧の人たちの間では「何かのために寄付をする」のではなく、「生きていれば寄付をして当たり前」という考え方をする人が多いのだという。それは「赤い羽根をもらうために寄付をする」ことから始まった昭和の子供には根付きにくい文化なのかもしれない。