「タダ」の罠

昨今、大半の人は、激安価格が意味するものを見透かしている。
「必ず裏がある」「いや他のものを売るための呼び水か」
自分が損をしてまで消費者のために安売りをする訳はない。そこには必ず意図がある。

安かろう悪かろう、なのか?そして私たちも気づいている。それが結局は私達自身にとって有害なものだということを。

かつての日本では人々は多くのものを欲しがった。たくさんの物を持つことがステータスでもあった。悪くてもいいからとにかくたくさんの物を持つことが良しとされていた。だがある時からそれは「少しでいいから質のいい本物を持ちたい」に変化していった。「バブルの崩壊」である。たくさんの物を持つことは必ずしも自分にとって有利ではないことに気付き始めた。食べ物に例えれば「不味くてもいいからたくさん食べたい」から「少しでいいから美味しいものを食べたい」に変わった。もちろん美味しいものをたくさん食べられるならそれに越したことはない。でも飽食の時代に”たくさん食べるために不味いものを選択する”のは間違っていると思い始めた。逆に不味いものをたくさん食べなければいけないのはある種の苦痛だと気付き始めた人がいる。

いらないものは欲しくない。
一方で訳もなく欲しがる人もいる。「タダであげる」と言われれば自分とはまったく関係もない興味すらないものを喜んで欲しがる人がいる。そうやってハムスターのようにガラクタを掻き集めて溜め込んで満足する。何がそうさせるのだろう。所有欲?
他人より多くのモノを持っていることはある意味で自分の優位性を示すことができる。ヒトの持つ基本的な習性の中に「他人より優れていたい」と思ったり「他人に認められたい」という欲望があることは以前にもお話した。しかし現代日本の飽食、飽物の社会では”多くのモノを持っている”だけでは自分の優位性を示せなくなってきた。他人も同じくらい多くのモノを持っているからだ。すると今度は”どちらがより良いものを持っているか”に注目するようになる。ところが所有するのは”モノ”だけではなく”コト”も含まれるようになってきたわけだ。つまり

「時間に縛られずに自由でいるコト」
「何にでも使える自由な空間を持つコト」
「誰にも縛られず自分の好きなことをするコト」

などである。不味いものをたくさん食べてお腹を満たしてしまうくらいなら、少しだけの美味しいものを食べて余裕を残しておきたいと思うのだ。

自分に必要のない”いらないモノ”を溜め込んでしまうことで”欲しいコト”を持てなくなるのなら、どんなに安くても、仮にタダであっても「いらないモノはいらない」と言う心の自由を残しておきたいと思うのである。