災害が起きたり起きそうになると必ず、「様子を見てくる」と言い残して家を出て行方不明になる人があとを絶たない。最近はマスコミでも「絶対に様子を見に行ったりしないでください!」と言うようになったが、それでもやはり何人かは”様子を見に行って”行方不明になったり命を落としている。

ネットの投稿を見ていたら、「田んぼの様子を見に行ったり船の様子を見にいくのは興味半分でやっているわけではない、止むに止まれず見に行っているのだ」と書いている人がいたが、気持ちはわからないではない。わからないではないが間違っている。

様子を見に行って仮に”大変なこと”になっていることがわかったとしても、一人で、いや何人いたとしても川や海の堤防の決壊を防いだり船が波にさらわれて沈むのを”何とかする”ことはできない。よしんば津波を受け止めたり氾濫しそうな川の水を減らすことなどまったくできない。冷静になって考えて欲しい。様子を見に行って、仮に現場で大変なことが起きていても自分は何も手出しができない。すでに事態は手遅れなのだ。

つまり様子を見にいくことにはまったく意味はないのだ。その場で対策して改善することができないなら現場に行くことに意味はない。それなのに慌てて”何とかしよう”として遭難する。対策とは事態が深刻になる前に考えられるすべてのことを想定して、徹底して準備しておかなければ意味はないのだ。燃え盛る山火事に一人で立ち向かっても何もできない。それは巨大な風車に立ち向かおうとするドン・キホーテだ。

自然の猛威を舐めてはいけない。自然の力の前では人間一人など砂粒ほどの力もない。”猛威”でなくても砂浜で海から上がってくるときに、足首くらいの深さで引き波に足を取られそうになったことはないだろうか。マスコミでは「膝くらいの深さでも…」などと言っているが、ボクは海でスネくらいの深さの引き波に足を救われて頭を10針以上も縫う怪我をしたことがある。流れる水の凄さは経験したものでなければわからない。

自然の前では人間はまったく無力だ。だから前もって準備しておかなければいけない。時間をかけて準備をするということは、災害の現場でやらなければならないことに、時間をかけて多くのことを行っておくことだ。その場になって慌ててももう遅いのだ。