運命

といえばベートーベンである。少なくとも僕の中ではベートーベンだ。
小学3年生の時、担任だったクスノキ先生は音楽が大好きだった。中でもクラッシック音楽が好きだった。教室にレコードが聴けなかったので先生の自腹でプレーヤーを買ってきて教室に備え付けた。その日から3年4組の生徒全員は1日1時間、強制的にクラッシック音楽を聴かされた。

流れる曲は交響曲のこともあったしオペラのこともあった。合唱に力を入れていたクスノキ先生は学年の有志を集めて合唱団を作った。ただ3年4組の生徒にだけは「やりたくないやつは去れ」と言った。僕らは文字通り朝から晩まで合唱漬けの毎日を送った。「おはようの唄」「1時間目始まりの唄」「1時間目終わりの唄」「2時間目始まりの…」1日に20曲位は歌った。放課後は陽が暮れるまで体育館で合唱団の練習をした。みんな放課後は野球がしたかった。でも先生は「嫌だと思うやつは帰れ」と言った。誰も帰らなかった。

先生は指揮者のカラヤンが好きだった。教室の黒板の上にはカラヤンの写真が飾られた。カラヤンの鋭い眼光は運命を見つめているようで怖かった。ベートーベンの交響曲を聴く前に先生は言った。

「運命はかくの如く人生の扉を叩く」

いや

「人生はかくの如く運命の扉を叩く」

だったかな?
意味は違うけどどちらでも通じるね。いずれにしても、こうして僕の頭のなかでは「運命=ベートーベン」という図式が出来上がった。

話は変わるがこのように順序や意味を反対にしても通じることがあるのはご存知だと思う。有名なところでは
「地球は丸い」を「丸くなければ地球ではない」に言い換えても言っていることは間違っていない。ところがこれを「丸いものは地球である」とか「地球でなければ丸くない」とすると必ずしも正しくない。昔、算数の「集合」で習ったと思うが、ある命題(与えられた条件)に対して「丸いものは地球である」のことを「逆」といい、「地球でなければ丸くない」を「裏」と呼ぶ。一方で「丸くなければ地球ではない」のことを「対偶」と呼んである命題に対して対偶は必ず「真」になる。

何かをやれば必ずその「裏」「逆」「対偶」になる行動がある。ただ気を付けなければいけないのは最初の命題が”正しいかどうか”だ。「株を買えば儲かる」に対して「株を買わなければ儲からない」という事象があったとしよう。その時最初に検証しなければいけないのは命題と対偶の関係ではなく「株を買えば本当に儲かるのか?」ということだ。前提条件が変われば自ずと結果はまったく違う方向に進んでいくものだ。

果たして扉を叩くのは「人生」なのか「運命」なのか?その考え方の違いが人生と運命の行方を変えるのかもしれない。