子供の頃、下村湖人の「次郎物語」という小説を読んだ、というより読まされた。ある日突然、両親が買ってきて黙って机の上にポンと置いた。「買ってきてやったから読め」ということなんだろうと思った。「次郎物語」は乳母の家に預けられていた次郎が生家に連れ戻され、どういうわけか他の兄弟と分け隔てされながら育てられる。

そんなこともあるんだろうなと思いながら読んでいたのだが、「次郎物語」は全部で5巻もある長編小説だ。両親が買ってきたのはそのうちの最初の3巻だった。3巻を読み終わったが正直なところあまり面白くなかったのでその先を買って読むこともなかった。

曽野綾子さんの「太郎物語」という小説を見かけたのは、家の近所の本屋だった。見かけた時は「次郎物語」のパクリかと思ったが、少し立ち読みしたら全然違う話だった。主人公の太郎は現代(当時はまだ昭和だった)に生きる東京のごく普通の高校生で、普段の生活の中で悩みながら暮らしている男の子だった。

やがて太郎は大学受験を乗り越えて名古屋の大学に進学する。なぜ名古屋なのか。太郎は実家の安穏とした寄生生活から一人暮らしを始めるためにわざわざ名古屋の大学を選んだわけだ。まぁそれはどうでもいい。しかし名古屋での一人暮らしの様子がこと細かに描写されていたので、ボクはまだ一人暮らしの経験などしていなかったのに、知識だけはこの小説から得ていた。

そして数年後にはボク自身も実家を出て一人暮らしを始めたのだが、実際の一人暮らしは小説の中のようにドラマチックではなかった。確かにそれまでは気にも留めなかった食材の値段など、スーパーの棚の前で立ちすくんでしまうほど高価だったことに驚いた。これでは一生肉など食べることは叶わないとボー然とした。そのかわりに卵とモヤシのメニューだけは充実したし、たまには鶏肉も食べられた。

あれから40年近く経ったが、基本的な生活はあの頃とあまり変わっていない。それどころか最近では高級な肉はあまり食べたいと思わなくなったせいと業務スーパーの冷凍食品の比率が高くなったせいか、物価の上昇ほどには家計は圧迫されていない。もっとも卵とモヤシ料理が頻出するのは相変わらずだ。

太郎も名古屋の生活に業務スーパーがあったら生活はどう変わっていたのだろうか。昭和と比べて冷凍食品も充実した今ならもっと彩のある生活ができたのだろうか。いやいつの時代も学生の一人暮らしの食生活などたかが知れたものなのだろうか。