昔から「継続は力なり」とよく言われる。特に思い出されるのは高校生の頃、通っていた予備校で呪文のように繰り返し聞かされた。確かに何かを継続することは何にしても精神的にも、身体的にも力が必要だと思う。でも最近思うのは、この言葉は「継続するためには力が必要だ」と言いたいのか、「継続することで力がつく」と言いたかったのかわからなくなっていることだ。

継続することで力がつくということはなんとなくわかる。スポーツでも楽器でも受験勉強でも継続して練習を繰り返すことで、できなかったことが少しずつできるようになる。先日、スポーツの才能に遺伝は関係ないとテレビ番組で言っていたが、身体的な体格は別にしても、生まれた瞬間からスポーツや楽器に長けている人はいない。そのテクニックや能力は生まれてから成長する過程で身に付く。

もちろん生まれ育った環境によって幼少期から練習できる(させられる)環境にある場合とそうでないケースがあるが、多くの場合はよりたくさん練習してきた人の方が能力は高い。ただそれを”継続”できたかどうかは家庭環境や本人の意思にも関係することなので、小さい時に始めたからといって誰もが優秀になれるわけではないことはご存知の通りである。

何かを長く続けるために、人によっては努力や忍耐、我慢が必要になるが、人によってはそれを続けることが大好きで、精神的には苦痛に耐えることなく続けてこられた人もいるだろう。それは「好きこそ物の上手」ということで、自分に向いていたということなんだろうと思う。

しかし続けてはきたものの、継続することだけが目的になっても力はつかないような気がする。継続することの中には向上心があってこそ上を見られるのであって、下を向いて「歩くために歩く」のでは進歩はしない。歩く力は維持できてもそれ以上になることはない。もちろん体力を維持することだけが目的ならそれでもいいだろう。でも継続することで新たに力を得ることには繋がりにくいのではないだろうか。