自分が結局何をしたいのかわからなくなる時がある。それは若い頃にはあまり感じたことがなかった。「目の前にぶら下がっているものにガムシャラになる」ことに精一杯で、「何がしたいのか」なんて考える余裕がなかったのかもしれない。いや、有り余る人生に「限りある時間」というものを意識しなかったからかもしれない。

人生も半分を過ぎて残りの時間をカウントダウンし始める。20代の頃には「あと何年生きられるか」と考えることなどなかったと思うが、60近くになって来ると「長くてもせいぜい30年だな」などと感じ始める。短ければあと10年、いや今日明日に命が尽きないとも限らない。だから何だということもないが、くだらないことに時間を費やすのはちょっとシャクなように思う。

そしてある程度歳を重ねて来ると自分探しを始める人が多くなるのではないだろうか。もっとも自分探しといったところで、今まで経験したこともないようなことをいきなり始めようとする人は少ないのではないだろうか。今まで生きてきた数十年の中で「あれは楽しかったなぁ」とか「あの時は人生かけてもいいと思ってたっけな」など、自分が経験してきたことから何かを見つけようとすることが多いと思う。

そんな中で「これぞ!」と思うものがすぐに見つかるとは限らない。人は幾つになっても、いや歳を取れば取るほど煩悩の塊になるから、自分探しの中にも常に損得感情が入ってしまう。「これをやってもどうせ儲からない」だとか「あっちの方が楽して稼げる」なんてことばかりを考えてしまう。

ゴルフをやってもテニスをやっても、「今からシングルプレーヤーになれるか?」だの「町内の連中に勝てるようになれるか?」などとプロになるわけでもないのに名誉ばかりを考えたりする。でも若い頃からゴルフは楽しかったのか? 単に仕事の接待のために仕方なくやっていただけではなかったのか?

自分探しをしていても、結局は自分が楽しくなければ長続きはしない。無欲になって、利害関係もない友人と楽しめるから「もう一度やってみるか」ということになる。友人だけではない。そもそも自分が得意でなければ楽しくない。「好きこそ物の上手なれ」と言うが、上手にできないことは大抵の場合、楽しくない。長続きするのはやっぱり得意なことだ。自分が得意でやる気になるようなことでなければ長続きはしない。

長続きすることこそ自分探しの目的地の一つなのだろうと思う。いくらお金が稼げてもいくら他人に自慢できることでも、楽しくないことは長続きしない。逆にいえば、今まで長続きしてきたことこそ自分探しのゴールなのかもしれないが、それが「会社勤め」だけだったりすると、定年を迎えて組織から放逐された時にどんな気持ちになるのだろうか?