始めて印象に残ったのは「ロッキード事件」で有罪になった小佐野賢治の国会証人喚問での発言だった。「記憶にございません」は証人喚問を乗り切るための素晴らしいアイデアだと思った。嘘をつけば偽証罪で捕まる。やったともやってないとも言わずに「記憶はありません」と言っておけば後から「やっぱりやってたじゃないか」と言われても「あの時は記憶になかったが、今思い出した」と言い逃れができる。

この発言は当時の流行語になったように”記憶”している。三谷幸喜さんの映画「記憶にございません」では、もともと不誠実で横暴だった現職の総理大臣が、暴漢が投げた石を頭に受けて記憶喪失になってしまうという話だった。記憶喪失になって、以前の自分が行っていた悪行をすっかり忘れてしまい、自分の気持ちが赴くまま正直と誠実をモットーに新しい政府を作っていく。

それまでは不誠実な人間だったので周囲にもロクな人間が集まってこなかったが、総理が本当に心を入れ替えたらしいことを知った周囲のごく一部の人間から信用の輪が広がっていく。不誠実な人間の周りには悪いことを考える人間ばかりが集まるのは世の常だ。「朱に交われば赤くなる」とはよく言われるが、それ以前に「類は友を呼ぶ」のである。

人間は誠実でなければ結局は信用されない。しかし自分が誠実であることを表現するのはとても難しい。「私は誠実な人間です」と選挙前の候補者がいくら大声でがなり立てても誰も信用しない。なぜならそれ以前にウソをついて不誠実な本性を現しているのだから。大臣の失言は枚挙に遑がないが、後になって「あれは間違ってました」と取り消したところで誰も納得しない。

その失言は普段から本人がそう思っていることが”油断したすきに”口をついて出てしまった結果だ。普段からそんなことを思っていなければ発言になるわけがない。”舌禍”というが、犯すべくして犯した失態である。

”誠実”であることを証明するには日頃の行動で示すしかない。選挙の前だけ頑張ってもダメなのである。それでも人はカネのためには不誠実なことも平気でやる。先日、選挙違反で有罪判決を受けた広島出身の元国務大臣がいたが、ウソをウソで塗り固めたような人間は今後一切の公民権を停止すべきだと思うのだ。悪いことと知って反省もなくそれを隠そうとする人間はまた悪さをするに決まっている。