先日、デジタルSaxなるものを見かけた。宣伝によれば「誰でもSaxが吹ける」らしい。ご存知の通りSaxophoneは”金属でできた”木管楽器で、マウスピースに取り付けた「リード」という葦で作った薄い板を息で震わせて音を出す。だからSaxの楽器本体を外してもマウスピースだけでそれなりに大きな音が出る。

「深夜に吹いても大丈夫」という触れ込みを見た時から、これはSaxではないなと思った。誰でもマウスピースに息を吹き込めば音が出るのは、リードの振動を楽器で増幅するわけではない。Saxを吹いたことのある人はご存知だが、初心者は息を吹き込んでマウスピースに取り付けたリードを震わせるのは至難の技だ。

それはトランペットやホルンのような金管楽器でも同じようなものだ。金管楽器のマウスピースは唇に押し当てて、その中で唇を震わせることで音を出す。しかし最初はうまく唇を震わせることができないので音を出すのはやはり難しい。かつて「イージートランペット」というものが発売されて「口をつけて歌えばトランペットが吹ける」というおもちゃのような楽器があったが、それと大して変わらない。

管楽器でも弦楽器でも、大抵の楽器は演奏するためにたくさん練習しなければならない。単に音を出すだけなら誰でも数分でできるようになるが、「美しい音色」を奏でるためには何年も何十年もの努力が必要になる。小学校の時に学校で習ったソプラノリコーダーは、子供でも最初からそこそこの音を出すことはできるが、プロの演奏者が吹いた音色とは雲泥の差が出てしまう。

人は努力しなければできないからこそ努力する。努力してできるようになった喜びは努力した人にしかわからない。ピアノもギターも太鼓も音を出すこと自体に難しさはない。だが最上の音や最高の演奏は誰にでもできることではない。努力してその境地にたどり着こうとしている人にはその楽しさがわかっている。すべてをデジタルで解決しようとする世の中には「難しいからこそ克服したい」という気持ちはもうなくなってしまったのだろうか?

レースをやるのでなければ車はオートマでも自動運転でもいい。単なる道具として使うのならそれ自体に楽しみはない。でも楽器は単なる道具ではない。「努力したオレだから吹ける」と思うことは「オレは優れている」にも繋がると思うのだが、もはやそれは「誰にも簡単にできます」という謳い文句の影に覆い隠されてしまったのだろうか。