核家族化とともに日本の福祉の自助努力は終わった、と以前にも書いた気がする。ここでいう自助努力とは家族や親族内で完結する助け合いのことだ。

ボクは幼稚園の頃、両親が共働き(古い!)だったので、月曜日から土曜日まで祖母のところに預けられていた。そこには同じ歳の従兄弟もいたので毎日とても楽しく幼年時代を謳歌した。祖母の家の庭の池の水を靴ですくって飲んだのもこの頃だ。祖母には二人ともこっぴどく怒られた。庭の柿の木に上って怒られたのもこの頃だ。「柿の枝はポキっと折れるから上ってはいけない」ことを知ったのもその時だ。

思い出すことは怒られたことばかりだが、祖母はボクらを大きな乳母車に載せて、しょっちゅう街まで買い物に連れて行ってくれた。従兄弟の家も自営業を営んでいたので、日中の子供の面倒はほとんど祖母が担っていた。そうやってボクらは育った。

でも今は核家族が当たり前になり、三世代同居どころか二世代の同居すら珍しい。子供も学校を出たら都会に出て一人暮らしをするのがアタリマエになっている。都会の会社に就職し、都会で結婚して都会で家族を作り、その子供もやがて学校を出たら同じ都会の”別の屋根の下”で暮らすことになる。

だから都会に出た若い人はすべての子育てを自分で解決しなければならないし、残された高齢者も買い物や通院を含めたすべての生活を自己完結させなければならない。日本がお金も人も潤沢だった頃には「お金で解決」することもできたが、「人生100年」などと言われて「生涯現役!」「死ぬまで働け!」などと総理大臣が言い放つ時代になったら今度は「自助努力が大切だ」と言い出した。

年金は減らされ、健康保険の負担は増え、身体を壊しても安い給料で働き続けなければ普通に生きていくことすらままならない。だからあちこちの地域で弱い人を助けていこうという動きが出ている。

しかし近所の助け合いで自治会が「ボランティアで買い物や通院のお手伝い」というと、バスやタクシーの業界から「営業妨害だ!」と言われてしまう。その急先鋒で助け合いの妨害をしているのは自治体だ。業界と癒着した市区町村議員が、”業界を守るため”に「タクシーやバスを使えばいい」と言う。

毎日、タクシーでスーパーに買い物に行ったり病院が良いができるほど裕福な生活をしている人はほとんどいない。過疎化や人手不足でバス路線は減便されても行政が住民に手を差し伸べることはない。「自助努力でなんとかしてください」と言う。だったらせめて自助努力を邪魔するようなことはしないでいただきたい。

こんな日本に誰がした!たぶんボクたちの世代がこんな日本にしてしまったのだ。でも今から急に後戻りするには課題が多すぎて何も考えられない。隣のおばあちゃんに「病院行くなら乗っけてくよ」と行ってくれるようなコミュニティは絶滅しつつあるのだ。