いつもメガネをかけていた友人がある日メガネを外していた。どこかで見たことのある顔だなぁと思いながらも誰だかわからずに、目を合わせないでいたら「どうしたんだよ?」と声をかけられた。もう一度顔を見たらどうやらいつものアイツらしい。「メガネかけてなかったから誰だかわかんなかったよ」と言ったら、「メガネは顔の一部だからな」と笑った。その頃、

♪メガネはぁ顔の一部〜です♪

というコマーシャルがテレビで盛んに流れていた。ボクは子供の頃から目だけは良かったのでメガネとは無縁の生活をしてきた。だから初めて眼鏡屋のお世話になったのは45を過ぎてからだ。今から10年ほど前から暗いところで小さな字が読めなくなった。「勉強のし過ぎか!」と思ったが眼科に行って診察してもらったら「軽る〜い遠視ですね」と診断が下った。どうやら世間ではそれを老眼というらしい。

今ではパソコン用、読書用、ゲーム用と3種類7つのメガネを使い分けるベテランになった。それでも小さな字を読む時以外はメガネをかけることはないので、普段はメガネ姿を晒すことはない。もっとも自宅で仕事をする時にはずっとパソコンの前なのでメガネをかけている時間は長い。

だからボクのメガネも顔の一部になっているかもしれない。でもそれを決めるのはボクではない。ボクが自分の顔を見るのは、朝起きて顔を洗う時に鏡を覗き込むときくらいだ。だからボクの顔を一番見ていないのはボク自身かもしれない。それにボクは生まれてからずっと継続的に自分の顔を知っているし、鏡を覗いた向こう側にいるのが自分だということが頭ではわかっている。

そのボクがメガネをかけていようがいまいがボク自身だとわかっているから、その顔に違和感を感じることなどない。というより何も感じない。だから自分の顔に眼鏡が似合うか似合わないかなどということは考えない。メガネは顔の一部でもそうでなくても、そんなことはどうでもいいのである。

自分から一番遠いものは、自分をよく知っているようで実は何も見ていない、他ならぬ自分自身なのだ。