先日、打合せをしていた人が急に方言で話し始めた。あれ?どこかで聞いたことのあるイントネーションだなと思ったら長崎出身の人だった。ボクは長崎に行ったことがないが長崎弁は時々耳にしている。それはNHKの深夜生番組「今夜も生でさだまさし」でのことだ。

長崎県といえば歌手のさだまさしさん、福山雅治さん、前川清さん、俳優の原田知世さん、それからジャパネットたかたの高田社長など数々の有名人を排出している有名どころで、幕末には坂本龍馬の主宰した「亀山社中」があったところだ。坂道の町として知られ、グラバー邸やめがね橋などの観光地もある。戦時中には戦艦武蔵を建造した三菱の造船所もある。

さだまさしさんは時々NHKの深夜番組で生放送をしており、「意見には個人差があります」の手書きにフリップを手に、たびたび長崎弁が飛び出すのである。「これだ!」と思った。まさに生の長崎弁だった。

そういえば中学生の時、初恋の女の子にもらったカセットテープがさだまさしだった。ソロになって3枚目のアルバムをリリースした頃だった。それはおそらくレコードプレーヤーの前にラジカセを置いて録音されたもので、テープの最初と最後には「ガチャ」というボタンを押す音も録音されていた。それが女の子らしくてまた「いいな」と思ったりしたのである。

閑話休題。都会にいると方言に触れる機会が少ないと言われるが、それは日本中どこにいても同じなのではないかと思っている。地方から都会に出てきた人は一所懸命に方言を”矯正”しようとするのだという話を聞いたことがある。だから都会にいると必然的に方言に触れる機会は少なくなる。

しかしずっと地方に住んでいたら、子供の頃から話している言葉が自分たちが住んでいるところだけで話されているとは感じないのではないかと思う。もちろんテレビなどのマスコミでは「標準語」という”方言”を話しているが、それは普段の自分たちの暮らしとは隔絶された世界である。自分たちとは”人種”が違うと思えば話す言葉が違っても当たり前だ。

ボクが住んでいるのは神奈川県でも割と都会から離れた里山もある地域だ。住宅や商店が密集する駅前からは里山方面行きのバスも出ている。最近、そういった地域に住む人たちとも話をする機会が増えた。しかも相手は古くからその土地で暮らしてきた高齢者だ。もちろん市街地まで出かけてくることはあるが基本的に”地方の人”である。

だからといってこの土地に特徴的な方言があるとは思っていなかった。ボクは小学校に上がる前にも何年かこの土地に住んでいたが、方言らしい方言を聞いたことはなかったし大人になってからも同じだ。しかし先日、里山に住む面識がないはずの二人の人のイントネーションがとても似ていたのでびっくりした。個人的な話し方の特徴だと思っていたら、あれはまさしく方言だったのだ。

市街地から車で20分ほど。さして離れているわけでもなく山を越えた土地でもないが、異質の文化が育まれていることに驚いた。しかしそれは意識していなくてはわからないほどの違いだ。もしかしてボクは今までもそうやって違いをわかることなく、ボーッと生きてきてしまっているのではないかと残念な気持ちになった。