できぬ辛抱、するが辛抱

「もうこれ以上ムリっす」
ちょっと前なら「オマエ、飯食う時間はあっても仕事する時間はないわけか」とか「そういうセリフは死んでから言え」なんて言われたものだが、今時はそんなことが世間に漏れたら大変なことになる。ネットで叩かれ炎上して企業存続の危機にもなりかねない。本当に嫌な時代だった、とはその時は思わなかった。そう、みんながムリしていたから。

そもそも”ムリ”って何を以ってムリなんだろうか?やってもやりきる自信や見込がないとき?そういうときにはやっぱり「ムリ」って言いたくなる。でもそれを断ることも途中で止めることもできないとしたら?

もう20年以上も前のこと。夜中に歯が痛くなって眠ることもできなくなったことがあった。どうにもこうにも痛くてたまらないので救急医療センターというところに電話をしてみたが繋がらない。翌朝に近所の歯医者が開くのは午前9時。「今は午前1時だからあと8時間の我慢」と思ったが1分過ぎるのが果てしなく長く感じる。昔の罪人が拷問を受けた時もこんなだったんだろうか?いやこんなに生易しいわけはない。しかもいつ終わるとも知れない苦痛だったんだろう。それに比べれば…と思ってみたものの痛いものはやっぱり痛い。一睡もできないどころかベッドの上で悶絶しながら何とか朝を迎えた。

その時に思い出した言葉がある。
「できぬ辛抱、するが辛抱」
もうこれ以上はどうしても我慢できない、と思うことは誰にでもある。しかし「こんな我慢はもうできない」という思いを我慢をすることが「本当の我慢」というものなのだということが少しわかったような気がした。

僕の歯痛は、硬いものを噛みすぎて(具体的には氷)奥歯が割れ、そこが滲みて痛くなったという実にくだらないものだった。あれからは大好きな氷を噛むこともちょっと我慢しながら暮らしている。