私の彼は左利き

子どもの頃、そんな歌が流行った。最初から最後まで、

♪私の彼は〜左利き〜♪

と歌っていたような気がする。そういえばあの頃は左利きの人をあまり見なかった。小さな子供が物心ついた頃に左手ばかり使っていると、心配した親が強制的に右手を使うように躾けていた。あの頃、左利きは絶対悪とされていた。

学校でも左利きの子は矯正的に矯正の対象になった。先生曰く、「水道の蛇口が捻りにくいから」(今時ひねる蛇口なんてないじゃん)、「電話の受話器が取りにくいから」(今はみんなスマホだから関係ないよね)、などと左利きの欠点を指摘されて泣く泣く従わされていた。

ボクは小さい頃から右利きだった(と思う)のでそんな横暴とは無縁の生活を送っていたが、高校生の時に数学のアサヒ先生がこんな話をした。左利きだった人は後から右利きに矯正しても、字を書くのは右手に直せても消しゴムを使うときは左手を使っちゃうんです。だそうだ。字を書くにはさほど力を入れずに済むが、消しゴムをかける時にはそれなりに力が入る。そんな時には自然に左手が出るのだという。

「だからテストの時も右手で書いて左手で消せるから有利なんです」と左利きの先生は関西訛りで得意げに話していた。そこでボクは左手で消しゴムを使おうと試してみたのだが先生がおっしゃる通りうまく使えなかった。今にしてみれば右手を訓練して使えるようになったネイティブな左利きの人と、普段から右手しか使ったことのないネイティブな右利きでは最初から勝負にならないのは目に見えている。

でも最近は、特に若い人には左利きの人を多く見かける。昔から「右利きでアタリマエ」という戦後教育を受けてきたので最初は違和感を覚えるが、そのうちに「あの人は左利き」がアタリマエになり違和感もなくなる。要するに”自分のアタリマエ”と”他の人のアタリマエ”の間にはなんの相関関係もないことだってある。

それでも左利きの人と横並びで食事をしようとすると、自分の右手と相手の左手の肘が当たって邪魔になったりする。もっとも席の左右を入れ替わればお互いに余裕たっぷりになる。しかし今度はさらに左側に座った右利きの、どこの馬の骨ともわからない奴とぶつかったりする。(笑) それでも”ソーシャルディスタンス”はこんなところでも効果を発揮している。

世の中で多様化が騒がれているが、「みんな一緒でみんないい」という教育からいまだに抜け出せないでいる日本で「みんな違ってみんないい」と心の底から思っている人がどれほどいるのか、お寒いものだと思っている。

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