子どもの頃、藤沢市に住んでいたことがある。藤沢といえば泣く子も黙る湘南のメッカ・江ノ島のあるところだ。ボクが住んでいたのは東海道線の北側の山の上、高層ビルなど何もなかった当時は夏になると公団の団地のベランダから江ノ島の花火が見られたものだった。もっとも当時の片瀬海岸は日本一汚い海水浴場といわれ、大腸菌の数はダントツの全国一位だった。

それでも時々週末には江ノ島に連れて行ってもらっていた。藤沢駅から江ノ電で行くこともあったし江ノ電バスで行くこともあった。時には大船まで行ってから当時できたばかりの湘南モノレールにも乗ったが、一番面白みのない小田急で行くのが江ノ島までは一番近かった。いやバスなら江ノ島の中まで乗り入れていた。

小田急の片瀬江ノ島駅を出ると目の前が片瀬海岸である。まだサーフィンなど流行る前だったから夏以外は砂浜に誰もいなかった。当時、江ノ島と本土は満ち潮になると海で隔てられていたので歩いて江ノ島に渡れる時間は限られていたが、すでに立派な橋がかかっていたので問題はなかった。

今ではどうなのかわからないが橋の上にはサザエの壺焼きやイカの丸焼き、おでんの屋台がずらっと並び昼間から酔っ払いがクダを巻いているようなところだった。当時の日本はどこもそんなだったと思うが、ガラはよくなかったと思う。

島には「エスカー」という有料のエスカレーターがあった。なくなったという話は聞かないから今でもあるのかもしれない。しかしエスカレーターに乗らないで階段を歩いて登っていくと途中に何軒か食堂があった。そのうちの一軒からは眼下にヨットハーバーが一望できる絶景がウリだった。ボクが生まれて初めてラーメンというものを食べたのも恐らくはその店だ。

頂上まで登ると植物園の中に灯台があった。今の灯台とは似ても似つかない鉄骨造りのクラッシックな灯台だった。手動ドアのエレベーターがあったような気がする。灯台を登ると大きなレンズを見ることもできたが、その後悪漢がそのレンズを壊したとかで立入禁止になってしまった。

植物園には温室があってバナナがなっていた。人生で初めてバナナを見たのも江ノ島だったような気がする(いや熱川のバナナ・ワニ園だったかもしれない)。芝生の上にはクジャクが飼われていた。まだ虫のように小さかったボクにとってクジャクは恐竜のように大きく恐ろしいものだった。

学生になって横須賀に引っ越した後も、時々は江ノ島や鎌倉に遊びに行った。江ノ島は弁天様を祀っている島だから、学生の頃は「デートで江ノ島に行くと別れる」と言われていた。弁天様は女だから嫉妬するというのである。そんな時代だった。そもそもデートする相手もいなかったボクには関係のない話だった。

おぼろげな記憶を辿ると江ノ島から水中翼船に乗ってどこかに行った記憶がある。いや江ノ島に帰ってきたのかもしれない。熱海だったような気もするがよく覚えていない。当時はまだ海岸線の国道も空いていて車もさほど走っていない時代だったから今のように渋滞もなかったと思うが、今ならさぞ人気の航路になっていたかもしれない。

そんな藤沢に住んでいたのはほんの1年くらいだったような気がする。平塚の松風幼稚園から藤沢の藤が丘幼稚園に”転園”したのはなんとなく覚えている。牡丹三組からあやめ組になった。短い藤沢暮らしだったが今でも覚えている思い出がある。幼稚園の同じクラスで親切にしてくれた女の子が、ボクの引越しの日にお母さんとやってきて「向こうに行っても元気でね」と言って記念にペン立てをくれたのだった。それはその後も高校を出るまでずっとボクの机の上に置かれていた。あれがボクの人生最大のモテ期だったのかもしれない。