オリンピックマネー

スポーツも芸術も素晴らしい。2011年の東日本大震災の後、人々の行動は一気に自粛ムードになった。コンサートやプロ野球、Jリーグなどのスポーツイベントは軒並み中止され、テレビコマーシャルさえ公共広告機構の、♪ポポポポーン♪という子供向けメッセージばかりが流された。日本中が楽しいことや笑うことは不謹慎だという雰囲気になり、誰もが普段の生活さえ自粛した。

アスリートやミュージシャンたちは「音楽で人が救えるのか」「スポーツで勇気は与えられるのか」と自問自答して苦しんだ。それでも何ヶ月も笑うことを止められていた人たちは「俺たちにできることは音楽やスポーツで日本中の人を元気付けることしかできないんだ」と気づいてそれぞれに少しずつ活動を始めた。

辛いことがあった時、塞ぎ込んでいるだけでは何も変わらない。震災直後を生き抜いた人は、それを見てきた人は、次は笑いで音楽でスポーツで日本中を元気付けられることを知った。

昨年春からのコロナ禍で2020東京オリンピックは1年の延期が決まった。緊急事態宣言が出てイベントはもちろん旅行や外出も自粛が要請された。あれから1年が過ぎたが誰もが予想した通り「本当にオリンピックやるの?」という議論が高まっている。テレビなどでも特集を組んで討論番組などをやっているが、とても不思議に思うことがある。

その場には新旧のアスリートたちも呼ばれている。医療関係者や組織委員会の人がいるのはわかるが公式スポンサーの人は誰も呼ばれていない。議論の的はいつの間にか「オリンピックをやる意義」が中心になっている。もちろん世界的なスポーツの祭典は素晴らしいと思う。多くの人に感動を与えられるに違いないと思う。アスリートや組織委員会もそれを知っているから、国民の感情に訴えてオリンピックをやる意義を熱く語る。

しかし一方でオリンピックでは巨大なマネーが動く。公式スポンサーはもしオリンピックが開催されなくなったら経済効果の減少も含めて巨額の負債を抱えることになる。これは金の問題だ。正直なところ”感動”などと言っている場合ではないだろう。これまでに既にコロナで痛手を受けているところも多い。だからなんとしても強行しようとする。しかしそんな場に呼ばれない。

でもオリンピックの意義について語る場に公式スポンサーが出てこないのではすべてを本音で語り合うことはできない。巨額のお金があるからオリンピックが開催できるというのも事実なのだ。こんな場で立場の違いによる意見の選別をするのはフェアではないと思うのはボクだけだろうか?

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