祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す
奢れるもの(平家)も久しからず、ただ春の夢の如し
猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵におなじ

中学か高校の時、古文の授業で誰もが暗記させられた有名な文章だ。その冒頭は誰もが今でも諳んじられるのではないだろうか。「平家物語」の作者は不明だが日本人にとっては有名な一節だ。しかしボクはこの冒頭の部分以外は見たこともないので物語全体のストーリーすら知らない。

しかし「諸行無常」といえば”あらゆるものは常に虚い、人処にとどまることはない”という意味だろうし、「盛者必衰」とは”強いものでもいつまでもいつか必ず衰えていくものだ”ということくらいは推測がたつ。ここから平家物語は日本人の「滅びの美学」を表しているという人も多い。

何年か前に奈良の興福寺を訪れた時に仏涅槃図を見る機会があった。お釈迦様が入滅する際に一対の沙羅の木の根元に頭を北にして身を横たえ、最後を迎えた時には淡い黄色の沙羅の花が白くなってその死を悼んだと言われている。そんな話を聞くにつけ「どうしてあの頃にもっと興味を持てなかったのだろう」と思うが、若さゆえの思い上がりがあったのかさっぱり覚えていないのは返す返すも悔やまれる。しかし今となっては老眼もすすんで本を読むこと自体が苦痛に感じることもあるというのは皮肉なことだ。

若くて感受性が豊かな頃に読んだ本を中年になってから読み返してみると、あの頃に感じたトキメキや感動が薄れてしまったり、逆に当時は気が付かずに読み飛ばしていたところに心動かされたりする。「1度で2度美味しい」とはよく言われるが、2度も別の美味しさを感じることができるという意味では本を読み返すことも楽しく感じる。

もっとも最初から何も感じることがなくあとで読み直してもやはり何も感じないという本もある。そんな本に引っかかってしまった時にはただただ時間の無駄と悔いる他ない。それでも本との出会いは一期一会だと思う。映画もそうかな。

でも最初に出会った時には駄作だと思った作品も時が過ぎたら「ひょっとして…」と思うと冒険はやめられない。