知ったかブリオ

知らないことを1から勉強しようとすれば自ずと概論から学ぶことになる。概論を勉強してみてそれが本当に自分が思っていたような面白いことなのかを見極めたり、その中から自分の興味があるところを深く学んでいくのが常套手段だ。概論はいわば本の目次に過ぎない。

概論を学んだからといってそれを深く学んだことにはならない。目次を見れば全体像は掴めても内容を深く知ることはできないのは誰もが知るところだ。それなのに目次だけサッと見て、さも全部を知っているように語り始める人がいる。ボクはそんな人のことを「知ったかブリオ」と呼んでいる。

これはリテラシーが低いのになんでもやりたがる人に似ている。なんでも知っている”自称専門家”になりたがる人は多い。車の免許をとって中古車を買って乗り回してみる。車の運転なんて誰にでもできる簡単なことだ。簡単に運転できるように作られている。それでも免許が必要なのは最低限の知識と技量がないと誰かを傷つけたり物を壊してしまいかねないからだ。

簡単に運転できるからやろうと思えば小学生でも中学生でも運転はできる。ボクが最初に車を運転したのは中学生の時だ。誰もいない山の中の砂利の駐車場でおっかなびっくり操作したのを今でも覚えている。それはマニュアルトランスミッションのクラッチ付き5段ギアのセリカだった。最初の数回はエンストしたがすぐにコツがわかってスムーズに運転できるようになった。

でもそれは単に車を動かすことができただけだ。運転ができるようになったわけではない。18歳で免許を取ってから40年間運転してきた。普通の道を普通に走ることが一番多かったがレースやラリー競技でサーキットや林道を走ることもあった。そんな中で何度も車を壊したこともある。林道の崖から下に落ちた時はさすがに肝を冷やした。

どういうわけか山の中で横転した時にはフロントガラスも粉々に飛び散った。シートベルトをしていたおかげで幸いケガらしいケガはしなかった。免許を取ってから2〜3年で「オレは運転が上手い」と思っていた。言ってみれば身の程知らずだ。そんな簡単な車の運転も何十年と続けているうちに少ないながらいろいろな経験を積み重ねることで身についたこともある。

車のテールを滑らせてカーブを曲がるいわゆる”ドリフト走行”などはちょっと練習すればできるようになる。でも誰もいないと思っていた横丁から自転車が飛び出して来るのを予測するには長い間の経験が必要だ。いや経験したから予測できるようになるわけではない。常に「飛び出してくるかもしれない」と用心するようになったことでそれが現実になっても事故を起こさずに済むようになるだけだ。

普段、一般の道を普通に走っていても「隣の車はいきなり幅寄せしてくるかもしれない」と思っている。他の車を信じないようにしている。どこの誰が運転しているのかわからないからだ。でも競技でサーキットを走る時は周囲を走る人はある程度の経験と技術、知識のあるレーサーたちだ。そこで不用意な行動をすれば自分や他の人を命の危険に巻き込むことになりかねないことを十分に知っている。だからお互いに安心してレースをすることができる。

いずれにしてもリテラシーが同じレベルの人と何かをするのは楽しい。お互いが信用できるから余計なことに気を配らなくても平気だ。効率もいい。どうしたら上手くいくのかをお互いが知っている。阿吽の呼吸というのだろうか。そんな仲間たちと仕事をしている時がボクは一番楽しい。

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