寄り添う

先日の3/11は東日本大震災から10年の節目だとマスコミが一斉に大騒ぎしていた。いや別にそれはいい。ボクにとってもあの日は人生で大きな衝撃を受けた日だ。あの日からしばらくは何もやる気にならないほどに心が参っていた。でもボクは被災者ではない。我が家の被害は本棚にあったガラスの写真立てが一つ落ちて割れただけだ。

その後、地震や津波の被害はもとより原発が事故を起こして爆発し、福島県の多くの人を巻き込んだ未曾有の災害になってしまった。今でも数万人もの被災者が故郷に帰ることができずに全国に散らばって暮らしている。痛ましいことだと思う。

あの日以来、「被災者に寄り添った支援」という言葉を何百回、何千回、いや何万回も聞いたことだろうか。東日本大震災に限らず大きな災害でたくさんの被災者が出るとマスコミは「寄り添う」という言葉を乱発する。でも今更だが「寄り添う」とはどういうことなのだろうか。

心に寄り添うとは「相手の気持ちになって痛みを分け合う」という意味にも聞こえる。でも実際には被災者ですらないボクが、家族を亡くした、家を流された、将来の夢を諦めざるを得なかった人たちの気持ちを真の意味で理解できているとは思えない。ボクは実際にはその場にいなかったし友達も家族も失っていない。そんなボクが「被災者の気持ちがわかる」などといえばそれこそ傲慢だ。

被災者でも思うことは人それぞれに違うだろう。そしてその気持ちも時の移ろいとともに変わっていくかもしれない。慰めてほしい人、同情してほしい人、応援してほしい人、喝を入れてほしい人、放っておいてほしい人…。「被災しても頑張っている人に『頑張れ!』と言ってはいけない」などという人もいた。もう限界まで頑張っている人にこれ以上何を頑張れというのだ、と。

でも頑張って頑張って倒れそうになっている人が「頑張れ!」と声をかけられて踏みとどまれることだってあると思う。辛くて悲しくて打ちひしがれて、今は声もかけて欲しくないと思う人だっていたに違いない。そんな人が他人から傍若無人に「大丈夫だよ、そのうちなんとかなるさ」と言われたらどう感じるだろうか。「お前に何がわかる!」と思わないだろうか。

寄り添い方は人それぞれにみんな違うと思う。それを最初に思ったのは阪神淡路大震災で神戸の町に手伝いに行っていた時だ。震災を体験した人の気持ちはよそ者には決してわからない。だからといって腫れ物に触るようにオドオドしていたらなんの役にも立たないどころか邪魔者でしかない。自分が今その場でできることを粛々とやるしかない。それがボクの寄り添い方だったような気がする。

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