ブラックライター

中学生の頃、将来はブラックライターになりたいと思ったことがある。「ブラックライター」、表に出てくることのない影の執筆者だ。売れっ子タレントなどが本を出すことがあるがエッセイなどは大抵ブラックライターが書いている。

だからといって嘘八百が書いてあるわけではなく本人から聞き取りをしたエピソードなどを元に多少の脚色をしたり綺麗な文章に整えて本にするわけだ。ちょうど一生に一冊は本を書きたいと思っていた頃だ。

ブラックライターはその立場上、絶対に名前を出すことはできない。有名タレントの名前で本を出すことに意味があるのだから、「この本は影武者が書いたんですよ」などと言うことが表沙汰になったら本が売れなくなる。もちろんそんなことはほとんどの人が知っているがそれでもファンは「百恵ちゃんの書いた本だ」とか「安室ちゃんは文章も上手いんだね」などと絶賛しながら買っていく。

当時のボクは文章が書ける仕事なら何でもいいと思っていた。たとえ1行たりとも自分の名前が出なかったとしても、どこかの有名人の名前を借りて売れた本だとしても、そこに書かれている文章は紛れもなく自分が書いたものでありその文章を読んでくれる人がいるのだ。

自分が書いたものを誰かが読んでくれる喜びを最初に感じたのは中学生の頃だった。先日小学校の卒業アルバムを見返したらそこには同じ学年の生徒全員の卒業文集が載っていた。恐らく人生で出版物に自分の文章が載った最初だったのではないかと思う。だが”全員の”作文が載っているのだから自分のものがあったとしてもアタリマエだ。喜びはない。

中学生になってから新聞の読者欄に投稿するのが趣味になった。まぁ趣味というほどではないが時折思いついては編集部に原稿用紙を送ったりしていた。普段から載っている投稿は文章もうまく内容もこなれていたので自分の送ったものが採用されるとは夢にも思っていなかったが、最初に送ったものが全国紙の片隅に掲載された。自分の書いた文章と名前が活字になって印刷されている。そして全国の人にそれが読まれている!

数カ所だけ接続詞やテニオハは編集で修正されていたがそんなことはどうでもよかった。自分の部屋に戻って一人で思いっきりガッツポーズをした。その後ワープロが普及して自分の文章を簡単に活字にすることができるようになったら、多くの人が自分の書いた文章をワープロで打って自作の本を作るのが流行った。自分の書いたものが活字になるのはその当時は誰しも快感だったのだと思う。ボクにもその喜びはよくわかった。

あれから40年(笑)、もはや手書きの文章はほとんど目にしなくなった。自分でもペンや鉛筆で字を書くこともほとんどなくなった。すると猛烈に字が下手くそになり漢字を忘れていることに気づかされた。もうパソコンなしでは文章など書けなくなってしまった。あの頃は原稿用紙に万年筆で書いた原稿が活字になることに喜びを感じたのに、自分の手でペンを握ることがなくなってしまっても文章を書く楽しみだけは忘れないでおきたいと思っている。

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