悩む人

悩みの全くない人なんていない、と思う。ボクも普段からあまり悩まない方だと思うが多かれ少なかれ悩んでいることはある。しかし悩んだところでどうなるものでもないから最後には「なるようになれ」と思ってしまうこともある。そんな投げやりなやり方が決していいとは思わないが「下手な考え休むに似たり」ということだってある。

悩むのは何かしら解決できない問題があるからだ。解決策がすぐに見つかるか見つけるまでの道筋が見えていれば悩む必要がない。しかし二つ以上の問題があって「あちらを立てればこちらが立たず」というようなコンフリクト(相反)が生まれるから悩むのだ。

そんなことはわかってる? そうかもしれない。ではそうなった時あなたならどうするか。子供の頃、友達同士でよくやった「究極の選択ゲーム」だ。どちらかを選ばなくてはいけないのに、もしくはどちらも選びたくないのにどちらも選べない。大抵の場合はどちらを選んでも自分が損する。

「どっちが得か」を選ぶのは比較的たやすい。どちらを選んでも多かれ少なかれ得をするからだ。人は得をすること以上に損することに敏感になる。誰でも損することは嫌いなのだ。賭けをして100万円儲かるかもしれないことより1万円損するかもしれないことを気にする。99回続けて1万円を損したとしても100回目に確実に100万円を儲けられるのならイーブンだ。

しかしほとんどの人はそうは考えない。仮に99回目に当たるなら1万円得する計算だ。50回目に当たるなら大儲けである。しかしそれまで49回も財布から1万円が逃げ出していくことに我慢がならない。「損して得とれ」とは頭ではわかっていても感情が許さない。それを理解できるのは博打が大好きな人くらいだろう。しかしそんな人は往々にして1000回、2000回と負け続けても「次こそは!」と前向きに(?)しか考えられない。

結局は今までにないアイデアや考え方をして「どちらを選んでもちょっとずつ得する」という考え方にシフトできるかどうかだ。それが今までと違うのは自分で解決する力を持っているかどうかだ。悩みを、ではない。「悩んでいることを止める術」を心の中に実現できるかどうかだ。

胃に穴が開くほど悩んでいたことも、ある朝起きてみたらひどくつまらないことだと思えることもある。昨日までどうしてそんなことに心を痛めていたのか分からなくなることもある。それは自分の意識が変わったのだ。その時は突然にやってくる。人生の中で一度でもそんな経験をしたことのある人は自分の心をコントロールする術を身に付けられる。悩みは別の方向から見れば悩みではないことを知ったからだ。

しかし悩むことは無駄なことではない。悩んで悩んで悩み抜いた挙句に思いもよやないアイデアが天から降ってくることだってある。そんなチャンスは最後まで悩み抜いた人にしか与えられないのだということは、悩みぬいた経験のある人にしか分からない

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