冷蔵庫のボトルの麦茶がなくなりそうなとき、最後にちょっとだけボトルに残してそのまま仕舞おうとするダメなオジサンや子供の話を以前に「名前のない家事」というテーマで書いたことがある。自分が最後まで飲み切ってしまうと自分がボトルに新しいものをセットしなければならないからだ。ちょっとした手間を面倒臭がるのだ。

ところが見ていると最後まで飲み切ってしまっても取り出したボトルを洗いもせずにそのまま放置する人間も多いことがわかった。いわゆる”やりっぱなし”だ。ボトルにちょっとでも残っていれば”出しっぱなし”ということになる。これはダラシがないのとはちょっと違う。違うが”ちゃんとしない”という点では一緒だ。もっともダラシがないからちゃんとしないのだと言われればそうかもしれない。

トイレットペーパーも同じだ。最後まで使い切っても芯だけ残したままにしておく人も多い。トイレットペーパーは”ちょっと残し”をしにくいという点もあるのだろう。麦茶だったらからのボトルを冷蔵庫に戻しておくようなものだ。次に使おうとした人をすこぶるイライラさせる。

今はコロナ禍で、公共のトイレで迂闊に新しいものをセットしようとすると「ウイルスがついたらどうする!」と文句を言われかねないので何ともいえないが、自宅のトイレでトイレットペーパーがなくなったときオジサンたちはどうしているだろうか。ボクの予想では黙って何もせずにそのままトイレを出る人が多いのではないかと思っている。

新しいトイレットペーパーをセットするのはそんなにめんどくさいことではない。残ったペーパーの芯をゴミ箱に捨てるのはもっと簡単だ。予備のロールを棚から取り出してホルダーにセットするだけである。予備のロールまで在庫がなくなっていれば買ってこなければいけないので面倒臭さは何十倍にもなるが、通常の家庭内ではそこまで求められていないことが多い。

街角のゴミ箱の上に紙屑や空き缶、ペットボトルが置かれていることがあるがこれも同じようなものだ。そこにあるゴミ箱の中に入れるだけのことができないというのは人間として出来損ないだと言わざるを得ない。だらしないで片付けられることではない。しかし大人も子供もそんな人間が必ず一定の数はいるのだ。8割2割の法則とはよく言われることだがそうしてそうなるのか是非とも知りたいところである。