倫理は正論なのか?

倫理とは、「善悪の基準(として守らなければならない事柄)」と手元の辞書には書いてある。善悪の基準とはどこに書いてあるのだろう。法律に書いてあれば悪いことなのだろうか。法律にはやってはいけないことは書いてあっても”やった方がいいこと”は書いてない。それでも法律に書いてないことはみんな”善”なのだろうか。法律に書いてないことは何でもやっていいのだろうか?

高校時代には倫理の授業があった。授業はあったがテストはなかった。ボクの担任だったニシタニ先生は倫理の先生だった。ちょっと変わった先生で、朝学校に行って「今日はこれからサボります」と言ったら「それはお前にとってどうしても必要なことなのか?」と訊かれたので、「今日の夕方に文化会館でバンドのコンサートをやるので朝から準備するんです」と答えたら苦笑いしながら「じゃあしょうがないな」とだけ言った。卒業するときには3年間でその時の欠席が1つだけ付いていて皆勤賞はもらえなかった。

そんな先生の授業は週に1時間、教科書はあったがそれとはまったく関係のないテーマで先生が話をするだけの授業だった。倫理は受験の科目にもなかったので取り立てて勉強することもなかった、というよりテスト問題になるようなお題目もなかったがボクは割と好きな授業で最後まで神妙に拝聴していた。

物事に対する善悪の基準は人によって違う。自分が得するためなら裏金をもらってもいいと思っている官僚もいるし、選挙に勝つためなら嘘をついてもいいという政治家もいる。小さい時からおばあちゃんには「人のものを盗んではいけない」とか「嘘をついてはいけない」と言われてきた。小さなことだが赤信号を無視して横断歩道を渡ることだって悪いことだ。

そんなことはほとんどの大人だって知っている。知っていても「誰も見ていないから…」と言って赤信号を無視することがある。「だって急いでいたから…」と理屈をつけて自分を納得させようとするが、「急いでいる時は信号を守らなくてもいい」とは法律には書いてない。でも99.9%の人は今までに倫理に反した行動をしてことがあるはずだ。

法律に書いてないことにだって人としてみればそれぞれに善悪はある。その濃淡は人によって違うがいいことや悪いことはある。「混んでいる電車の中でお年寄りが立っていたら席を譲りましょう」とは法律には書いてないが子供の頃に学校に先生からは一度は聞いたはずだ。そのことの善悪をどう判断するかは人それぞれに違う。

だから物事の善悪を自分なりに判断するために倫理というものがあるのだろう。人によって異なる倫理観に正解はない。事柄によっては正反対のこともあるかもしれない。しかし自分がそれをどう判断したのかを自分なりに振り返ることによって自分自身を見つめ直すきっかけになるような気がしている。今頃になってそんなことを考えているのだからボクの倫理観はよほど低いのだなぁと情けない気持ちになっている。

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