以前、徳島県にある大塚国際美術館のことを書いた。鳴門市にあるこの美術館に展示されている1000点もの名画はすべてレプリカである。しかもそれらは陶板で作られている。極端なことを言えば”触(さわ)れる”名画だ。

保存と公開という文化財においては二律背反するテーマについてはこれまでもあちこちで議論されてきた。原則からいえば保存のためには一切公開しない方がいい。ガラス張りの展示ケースに入れて光に当てれば少しずつだが劣化していく。温度や湿度の管理も密閉された空間で空調によって管理した方が劣化は抑えられる。

しかし例え貴重なものであっても、展示して一般に見せることで文化財の素晴らしさや保存することの大切さを実感できるのも事実だ。先日のテレビ番組でとあるイギリス人は「レプリカなどに価値はない」「本物を見なければ意味がない」と言っていた。もともとイギリス人にはエジプトなど世界各地で遺跡を掘り起こして自国に持ち帰ってきた歴史があるからそう思うのかもしれないがボ必ずしもボクはそうは思わない。

ボクのような一般人は精巧に作られたクローンと本物の区別などつかない。展示物の横にある解説に「複製」と書かれているのを見て「あぁ複製したものなのか」と思う程度である。そりゃそうだ、今まで本物など見たことがないのだから。いやよしんば本物を見たことがあったとしても区別はつかないと思う。

蘭奢待(らんじゃたい)と呼ばれる有名な香木がある。ボクがそれを見たのは国立博物館の「正倉院展」でのことだった。蘭奢待は今まで室町時代に足利義満、足利義政、織田信長、明治天皇などによって切り取られたと言われ、その跡も残されている。ボクはガラスケースの中に展示されていた現物を見たのだが当然ながらその香りをうかがうこともできない。

確かにそれは素晴らしいものだが展覧会のために奈良の正倉院から出して遥々東京まで運ばれてきたというわけだ。外に持ち出せば失われてしまうリスクが伴う。それならガラスケースの向こう側に恭しく置かれた本物よりもレプリカで十分だと思う。願わくば香料会社が匂いの成分を分析して人工的にその匂いを再現してくれるなら最高だ。

現物の姿は専門家によって一時的に外に出して4K/8Kなどのデジタル技術で保存してもらい、将来的にVRなどの技術で家に居ながら詳細な部分まで5Gなどの技術を使って鑑賞できるならその方がよほど良いと思うのである。そもそもボクには本物を見てもその価値がわからないのだから。

触ることはできなくても直接見ることのできるレプリカは素晴らしい。それは以前に東京都美術館で見たロゼッタストーンを見たときにも感じたことだ。もちろんそのロゼッタストーンはレプリカで本物はイギリスの大英博物館にあるのだが、ボクはそのレプリカを見てその大きさにビックリしたものだ。しかし周囲にいた人は「なんだ、複製か」とバカにしたように呟きながら足を止めることもなかった。もしその傍らに「実物」と書かれた札が下がっていたら長蛇の列ができたことだろう。

ボクはまだ今のVRを体験したことがないのでわからないのだが、その空間や大きさを体感するもの以外ならレプリカやVRでいいと思っている。教科書にも載っていた古代の壁画で有名なラスコー洞窟は、現在では壁画を保存するために専門家以外の立ち入りを厳しく制限している。仮にそこまで行って本物を見たとしてもボクはそんなに感動することはないような気がしている。これも博物館ではレプリカが展示されていたが流石に全体が大きすぎて模型でしか再現されていなかった。これをVRで見ることができるなら素晴らしいことだと思う。

本物の価値とは「それが今でも世界のどこかに存在している」と思うことだと思っている。だからそれを少しでもいい状態で保存するためにはできるだけ一般公開すべきではないと思っている。それが今でもどこかに残っているのだと想像することで壮大なロマンを感じることができると思うのだが、そんな考えの人はまだ少ないようである。