ボクは今まで病院の霊安室というところにはに入ったことがなかった。だからボクがイメージする霊安室はマンガ「タッチ」で弟の和也が交通事故で死んでしまったときの漫画に描かれた霊安室のイメージしかない。

先日、母が死んだ時に遺体を病室から移動させる時に初めて霊安室というところに入った。そこはガランとした無機質な空間で、部屋の片隅にはお線香とろうそくを置く小さな台が置かれていた。病院で亡くなった人が皆ここを通過して行ったのかと思うと不思議な気分になった。三途の川を渡るときの賽の河原というのはこんなところなのだろうかと思ったりもした。

病院に入る時には玄関や救急外来の入口から建物に入る。しかしそのうちの何人かは二度とそこから出ることなく霊安室から外へと出ていく。言ってみれば一方通行だ。

頼んでいた葬儀社の車がやってきて霊安室の奥の鉄の扉を開けるとそこは病院の外の地下一階だった。一瞬「ここはどこなんだろう?」と思った。それはそうだ、患者さんの前を通って死体を運び出すわけにもいかないから当然のことなのだが病院の地下の目につきにくいと物陰に霊安室から外に出る扉はある。色々と気を使うのだなあと妙に感心した。

病院や高齢者施設にとって「死」や「死体」は禁忌だ。タブーである。一番近くにあるからこそ連想させてはいけない。しかし病院に死はつきものだ。誰もがそのことをわかっている。だが誰もそのことには触れようとしない。ガンを宣告された患者の前では死を連想させる話はしないことになっている。

だがあまりにもそれらの結びつきが強いのに不自然なまでにそのことを避けようとすることにボクは子供の頃から違和感を感じていた。そんな人のお見舞いに行って「いつ死ぬの?」などと本人に聞いてこっぴどく怒られたことがあった。でもその人は「さぁいつかねぇ?」と捌けた口調で答えた。たぶん本人が一番気にして悩んでいるのに誰も口にしないことにある種の不自然さを感じていたのかもしれない。

自分がいつ死ぬのかについて誰にも相談できずにいるのは病床で動けなくなっている自分にとって一番の孤独なのではないかと思う。そうでないのかもしれないが、ある程度自分の死を正面から見据えている人とは本人が直面している人生最大の問題について真剣に話をすることもお見舞いになるのではないかと思っている。だからといって迂闊に口にすることはこれからもない。