見えそうで見えない

小野小町、クレオパトラや楊貴妃と並び称される世界三大美人の一人で平安時代の”美しすぎる”歌人だ(もっとも日本だけの話だが)。しかし生没年も本名も確かなことはわかっていないのだという。しかしわかっていないからこその魅力がある。その肖像画の多くは後ろ姿が描かれ、その素顔は誰も知らない。

秘することによって花の美しさは一段と映える。秘するからこそ花になる。秘せねば花にはならぬ。これをわきまえることが花を考えるにあたっての大事な要点である。下世話な話をすれば、ヌード写真だって”見えそうで見えない”ほうが魅力は倍増する。あけすけにペロンと脱いでしまったらなんとつまらないことだろう。

”キワの魅力”というものがある。”キワ”は”際”だ。境目である。キワでは接し合う二つの要素の両方が見えそうで見えない。チラリズムの極致だ。人は見えそうで見えないものこそ「どうしても見たい!」気持ちにさせられる。思わせぶりは人を興奮させる。

室町時代の「能」の中興の祖と言われる世阿弥はそのことをよく理解していた。肝心なところを隠すことによってその価値が上がり惹きつける効果が上がる。

世阿弥は「秘すれば花」といった。これは「あからさまに何事も表に出さず控えめにしておくほうが花の美しさは増す」と現代では理解されることが多いが、おそらく世阿弥が言いたかったのはそんな綺麗事ではなく、「とにかくなんでも秘密にすれば価値が上がる」という打算的で俗世間的なことだったのかもしれないと思っている。どんなにくだらないことでも秘密にすれば価値は上がるのだ。

最近ではネットでなんでも調べられる。知らないでいることを現代人は我慢できない。しかしそれが嘘であろうと本当であろうと、知ってしまえばそれまでよということは往々にして多い。魅力的だがその本質をよく知らないのなら知らないままにして置いたほうが魅力は色褪せずにいつまでもフレッシュでいられるのかも知れない。

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