話の内容が本質的かどうかは別にして、LGBT論議は盛り上がっている。しかし夫婦別姓論議は取り残されている。性的マイノリティという議論が盛んになっている今、夫婦という古くから性によって縛られてきた結婚制度に議論が及ばないのには違和感を感じる。

自民党の年寄連中が「家族制度の崩壊を招く」と言って反対しているらしいが、もはや姓が家族制度の根幹をなしているとは思えない。そもそも明治維新以前には姓を持たない人がたくさんいたわけだ。だからといって家族が繋がっていなかったとは思えない。年寄連中がいう「家族制度」とは一体なんなのだろうか?それをどのように定義しているのだろうか?

端的に両親の姓が違うと家族ではなくなるというなら日本以外の多くの国では両親の姓が異なっているケースはいくらでもある。そしてそれは日本の明治維新より古くから続いている。日本はほんの150年ほどの戸籍制度の中でしか家族を語れないのだろうか。

それ以前に日本の家族制度は都会ではもうとっくに崩壊している。それは高度経済成長期に核家族化が進んで夫婦が家族の基本単位になった時に始まった。例えば首都圏では「結婚したら男も女も家を出る」「就職したら独立して家を出る」のが一般的になっている。家を出ないまでも二世帯住宅などで実質的には別居していることも多い。三世代以上が同じ家に住むサザエさんのような家庭は少なくなってしまった。

年老いた夫婦が独居で暮らしている。子供や孫は年に一度か二度短期間だけ実家を訪問する。それ以外はほとんど没交渉だ。これは家族制度の崩壊とは違うのだろうか?

一体家族とは何なのだろうと思う。それでも姓を同じにしておくことで名義上の家族の絆を保てるというのだろうか。現在では結婚して夫婦が同じ姓を名乗るようになるとどちらかは元の姓を捨てることになる。同じ理屈で言うならこれは”元の家族を捨てる”ことにはならないのだろうか。

核家族化が進む中で様々な問題が顕在化してきた。待機児童や空き家問題、孤独死、買い物難民など生活の単位が極小化することで日本の社会が崩壊しかかっている。夫婦同姓を名乗ることでこれらの問題が解決できるとでもいうのだろうか。