具合が悪ければ薬を飲む、病気になれば病院に行く。しごく普通のことだと思う。しかし「ちょっと具合が悪いような気がする」程度なのに救急車を読んだり大病院へ出かけていくのはちょっと常識を外れているように思う。

もちろんちょっとした体の異変が致命的な病気の予兆だということがないわけではない。しかしそれはごく稀なケースだ。そんな体の異変が1週間も続くようなら病院に行ったほうがいいと思うが、ちょっと目眩がしたからといってすぐに救急車を呼ぶ必要はないと思っている。

なぜなら救急隊員も病院の医療従事者もその数は限られておりその人数の中で数多くの患者を診なければならないわけで、そもそも医療を必要としない者が限られた医療資源を無駄に浪費することは許されないと思うからだ。それよりもまず脳の血管切れたり心臓発作が起きているような激症の患者をまず助けるべき者だと思う。

テレビドラマなどでは具合が悪くなって入院した患者を「何をしてでも助けてください!」と懇願する家族の姿が描かれるが、実際のところはどうなのか医療関係者ではないボクにはわからない。

ずいぶん昔の話だが脚本家の山田太一さんのドラマ「早春スケッチブック」の中で、重い病気で治療しなければ死ぬという役だった俳優の山崎努さんが語るこんな台詞を覚えている。

「病気は治しゃあいいのか?」
「長生きはすりゃあするほどいいのか?」
「そうはいかねぇ」
「体が丈夫だって、長生きしたって何にもならねぇやつぁいくらだっている」
「何かを、誰かを深く愛することもなく 何に対しても心からの関心を抱くこともできず
 ただ飯を喰らい予定をこなし習慣ばかりで1日を埋め、
 くだらねぇ自分を軽蔑することもできず
 『俺が生きてて何が悪い!』と開き直り魂は1ワットの光もねぇ
 そんな奴が長生きしたってなんになる? そんな奴が病気治してなんになる!!

ドラマ「早春スケッチブック」脚本・山田太一


すべての人は何がなんでも長生きしたいと思っているのか?無理に延命して欲しくない人だって多いのではないかと思わされたのはボクが17歳の時のことだった。

何がなんでも助かりたい、助けたいと思って先端医療にすがる人もいる。自分の子供が重い病にかかればほとんどの親はそう思うだろう。しかしある程度自分が年老いた時に誰もがそう思うのだろうか。誰もが「死にとぉない」と思うのだろうか。その答えは自分がその立場になった時にしかわからない。