下は小学生から上は中高年や一部の高齢者に至るまでSNS全盛の世の中である。四半世紀ほど前のインターネットの勃興期には企業や個人でホームページを持つことが最先端のテクノロジーだったが、初期の頃には単なる情報発信のツールとしての価値しかなかった。

それがちょっとしか技術でホームページの中に「掲示板」と呼ばれる仕組みが組込まれ、ホームページを見たユーザーも自分の意見を自由に書き込めるようになり、ウェブログ(ブログ)という日記のように簡単に更新できるツールができると、それは一種の双方向のコミニュケーションツールとして認知されて猫も杓子もホームページに取り入れるようになった。

一方で企業や個人のホームページでは GoogleやYahoo!などでネット検索してわざわざ訪問してくれた人だけの目に触れるのに対して、ブログや掲示板の機能を重視したSNSが出てくると多くの人がそれらに飛びついた。今では多くの人がTwitter(ツイッター)やFacebook(フェイスブック)をはじめとしたSNSサイトにアカウントを持って会ったことすらない多くの人と交流できるようになった。

そこでは面倒な操作なしに簡単に自分の思ったことを書き込むことができ、それは一瞬で爆発的に多数の人の目に触れている。そこでは「炎上」と言われる誹謗中傷の連鎖が起きることもあり、それが原因ともいわれる自殺時間なども起きている。自分自身の不用意な書き込みが多くの人の怒りを買って集中砲火のように非難される。

このような現象は昔からなかったわけではない。一部の会員の間にしか知られることのなかったパソコン通信の頃にも時折「炎上」のような現象は起きていた。ただ今の時代と違っていたのは「書き込んだ人が特定される」ということだ。だから誰と誰が掲示板の中で言い争っているのかが他の人からも見えていた。

ボクらはこれを「バトル」と呼んだ。ときには大人数が参戦して乱闘騒ぎのようになることもあったが、自分の素性がみんなにバレていると思うだけであまり無責任なことは書き込めなかった。ウソや間違ったことを書けば今度は自分が集中砲火を浴びることになりかねない。

しかし今の時代のSNSは本人の素性を知られることなく無責任に書き込むことも可能だ。誹謗中傷を書き込んでも処罰されることはほとんどない。そんな場所に、よく考えもせず自分が思っていることをその場の刹那で書き散らして拡散することは精神の垂れ流しであり、いわれのない非難を浴びても仕方のない部分もあるのではないかと思っている。

ボクが何かの文章を依頼されて書くときには、取材から全体の枠組みの構成や考察と結論までの論理の組み立てなどを何日もかけて考えて書き上げる。その段階でいろいろな立場の人の意見を取り入れたり感情に配慮しながら書いている。最初に突発的に書いたことを後から見直して全体の構成から書き換えてしまうことさえある。文章を自分に依頼してくれた人の立場も考えなければいけない。

しかしSNSではそのとき自分が突発的に思ったことを衝動的に書き散らして読み返すこともなく送信してしまうことが多い。そしてそれが一瞬で世界中に拡散されていく。一度外に出てしまった文字は2度と引っ込められない。一瞬の間に世界中のサーバにアーカイブが残され、全てを削除することは不可能だ。

ボク自身もここのホームページやSNSではあまり深く考えずに投稿してしまうことも多いが、それこそ自分が思っていることや人となりをダラダラと垂れ流していることに他ならない。と思っていてもやめられないんだな、コレが…。