こうべを垂れる稲穂

若い人の話は丁寧に聞かなければいけない。かつて自分が経験して既に知っていると思っていることでも、とりあえずは耳を傾けてみるべきだ。その結果、それが自分の知っていることと同じだったらそれでいい。しかし多くのことは時間の経過とともに変化している。自分の知っている知識は更新されていない、既に時代遅れの知識かもしれない。

歳を重ねれば経験を重ねて知識も増えるが、その知識の半分ほどは古くて使い物にならない知識だ。中には新しいもので上書きしなければならないものもある。上書きとまでいかなくても、古いものと新しいものの両方があることを知って変更履歴を残さなくてはいけない。自分の知っていることと今の常識がなぜ違っているのかを知ることは重要だ。

新しいことを教えてもらうのなら相手に敬意を示すべきだ。たとえそれが年下の子供だったとしても。敬意を示さずに相手から何かを授かろうなどというのは厚かましいことだ。それでも仮に相手が快く授けてくれたとしても心の中では不愉快な気分になっているかもしれない。

ピカソが市場を歩いていると
手に一枚の紙を持った見知らぬ女性が話しかけてきた。

「ピカソさん、あなたの大ファンなんです。
 この紙に一つ絵を描いてくれませんか?」

ピカソは彼女に微笑み、30秒ほどで小さいながらも美しい絵を描いた。
そして彼女に絵を手渡しながらこう言った。

「この絵の値段は100万ドルです」

女性は驚いて言った。

「ピカソさん、だってあなたはこの絵を描くのに『30秒』しか
 かかっていないんですよ」

ピカソは笑いながらこう言いました。

「30年と30秒ですよ」

芸術や知識に対する人々の意識を表す有名な逸話だ。好き嫌いは別にしてピカソは世界的に有名な画家だ。そんな彼の能力を”時給”で測る事などできない。どんなに短い時間でどれだけ安い画材を使ったとしてもそれまでに積み重ねてきた努力と経験が込められた作品であることに変わりはない。

若者に教わったことも、若者は若者なりに努力して身につけた経験や知識であることに変わりはない。それを授けてもらうために敬意すら表さないというのは教わる資格すらないということだ。

人は歳を重ねると次第に尊大になってしまう生き物だ。それは日本の年功序列という社会の仕組みだけではないような気がする。ボクもだんだんと付き合う人が自分よりも若くなってきた。そしてその人たちに教わらなければならないことも多い。だからこそ自分の古びた知識ばかりを振りかざして若者に迷惑をかけてはいけない。稲穂は実るほどに頭(こうべ)を垂れるものである。

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