特に”犬派”、”猫派”というのはない。ボクは犬も猫も割と好きな方だ。でもどちらも飼っていない。なんとなく飼いきれる自信がない。それに旅行などで長期間家を留守にしている間は可哀想な気がして飼わないことにした。だからといって飼っている人をどうだという気もない。価値観の問題だと思う。

でも犬猫と触れ合うのは楽しいのでもっぱら犬猫を飼っている友達のところに行って可愛がらせてもらっている。孫と一緒で養っていく責任のない生き物は無条件に可愛いと思える。我ながら無責任だと思うが、これでいいのだ!

イヌには自分の持っている能力を他の誰か(犬でも人間でも)のために使いたいという習性があるという話を聞いた。ところがイヌの祖先でもあるオオカミにはそのような習性はないらしい。イヌもオオカミも社会的な動物で野生では群れを作って生活をしていた。ボクは犬を飼っていないので詳しいことはよくわからないが、犬を飼っている友達を見るとイヌとヒトのただならぬ関係に驚かされることがある。

集団で狩りをする動物はイヌに限らずライオンやチンパンジーやイルカなど他にもたくさんいる。ところが彼らは集団で狩りをしていても、自分の子供でもない限り自分の獲物を他の誰かにあげたりするようなことはないという。集団で生活していても常に仲間同士で互いに欺き合う。自分だけ美味しいものを食べようとしたりボスの隙を盗んで女子と交尾しようとしたりする。

こんな実験をしたらしい。イヌの見えないところで2つのコップを伏せてその一つに餌を隠しておく。2つのコップを並べて人が餌の入っている方を指差したり視線を送ったりするとイヌは迷うことなく人が指し示した方を選ぶのだという。しかしオオカミやチンパンジーは人が指をさしてもどっちに餌があるかを理解できない。もちろんチンパンジーが頭がいいので何度かやるうちにすぐに覚えてしまうらしい。

イヌは生物の種を超えてコミニュケーションできるようになった。盲導犬、牧羊犬、警察犬、麻薬探知犬、介助犬、山岳救助犬などいろいろな犬が人と一緒に暮らして人の役に立っている。そんな動物は犬だけかもしれない。それもこれも自分が持っている能力を誰かのために使いたいと思うからかもしれない。

犬は一緒に暮らしていると人を家族(仲間)だと思うようになるという。だから自分が初めて出会った犬が最初は敵対的な行動をしたとしても、その飼い主と自分が親しく話しているのを見ると自分も犬の仲間だと思われるようになる。今までボクの出会った犬の多くがそうだった。それでも自分が犬のことを「怖い」と思っていると犬は自分に懐かないことは経験上なんとなくわかっている。

犬と人がお互いに見つめあっているとその両方でオキシトシンという”幸せホルモン”の分泌量が増えるという研究結果が2015年に科学誌「Scinense」に発表されたという。きっと犬と人は見つめ合うだけで幸せになれるのだろう。

しかしヒト同士はどうだろう。互いが欺きあって生きていることが多いのではないだろうか。常に打算があって、それを相手に悟られないように隠して相手を欺きながら生きているような気がする。対してイヌはヒトを裏切らない。人の社会でも「犬は裏切らないからねぇ」とはよく言われる。

しかしヒトは赤ちゃんの頃からそうだったのだろうか。裏切るのは人の習性なのだろうか。そうだとしたら人は生まれながらに悪であるという性悪説ということになる。それは習性とはいえ悲しいことだと思う。でも猫のことは知らない。