足が悪くて階段を登れず2階に上がれない人は足に障害があるわけではない。なぜなら階段の横にエレベーターがあって、それを使えば2階に上がれるのならもはや障害はなくなったわけだ。という話をとあるセミナーで聞いた。つまり障害というのは身体や心の不具それ自体のことをいうのではなく、周りの環境によってもたらされるのだという話だった。

その意味では「知らない」ということも障害だ。毒キノコをそれと知らずに食べれば具合が悪くなったり時には命を落とすこともある。奄美や沖縄でハブに噛まれれば死ぬかもしれない。陸上ではクマやイノシシなどの動物に襲われることもあるが、海の中では向こうから攻撃されることは少ない。多くは人間がちょっかいを出したり知らずに触れてしまって痛い思いをする。

知っていれば避けられた災難も知らなかったがために痛い目にあったりできることもできなかったりする。先の例で「エレベーターがあれば」と書いた。エレベーターはなかなか自分のお小遣いで設置することはできないが、知識を得ることはいくらでもできる。ネットが発達した今ではお金をかけずにある程度の知識を習得することさえできる。

”知識不足による障害”は誰かの世話になることなく自分で取り除くことができる。「知らないからできない」というのは言い訳だ。わずかな負担で知識を得ることはできる。もちろん身体的、精神的な事情で学習したくてもできない人もいるだろう。それでもやろうと思えばその人なりのレベルで習得できるのが知識のいいところである。逆上がりができるかできないかということとは違う。

2階まで上がりたいと思っても階段の踊り場までしか到達できなければ”2階へ行く”という目的は果たせないが、算数でも社会でも理科でも、知識は少しずつ習得しながら貯めていくことができる。踊り場までの知識でもそれなりに役に立って障害を解消することはできる。あとは自分のやる気次第だ。チャンスが巡ってきてもやる気がなければむざむざと見逃してしまうことになりかねない。

知らなくても知るすべを持っているならそれはもはや障害ではない。知るすべとは「知ろうとするモチベーション」ということだ。