先日、1週間ほど沖縄に行ったので巷で話題の”ワーケーション”というヤツをやってみた。ワーキング+バケーションの造語らしいが、バカンスを楽しむように仕事をするらしい。テレビを見ていると、山や海の自然豊かな環境の中でのびのびと仕事をすることで作業効率は上がり、ちょっとした休憩に自然の中でバケーションも楽しめるという夢のような働き方改革だ。

もしそんな働き方ができたなら都会のゴミゴミした環境に身を置くこともなく通勤ラッシュからも解放される。ストレスは少なくなって心にも余裕ができるはずだ。政府もこぞってそんな働き方を推奨している。しかし、実際に試したワーケーションはそんなに夢のような働き方ではなかった。

バケーションに行って仕事をするのか、仕事をしながらバケーションを楽しむのかよくわからないが、中途半端なやり方は著しく効率が悪くて精神衛生にもよろしくなかった。誰が考えてもすぐにわかるが、バケーションに行って仕事をしていたら結局はバケーションの開放感など味わえない。休みの日にも仕事が気になって仕方のない人が休日に仕事のメールや電話をかけて気を紛らわすようなものだ。しかし仕事をしながらバケーションしていたら仕事が中途半端になって捗らない。

vacationはvacate(空っぽにする)ことである。日常のしがらみを捨て去って頭の中を空っぽにして心をリフレッシュするものだ。一方でworkingしているときには頭の中を空っぽにすることは許されない。空っぽにして何も考えないような状態では仕事はできない。

政府の役人は、相反するものをあえて融合させることでイノベーションを生み出したと思ったのかもしれないが、勘違いしてもらっては困るのは「時間は誰にとっても平等に与えられている」ということと「1日は誰にとっても24時間しかない」ということだ。長く寝れば起きている時間は減るし、遊んでいれば働く時間は減る。それを効率よく過ごそうと思えばさらに頭を使わなければならない。そんなものがバケーションになると本気で思っているのだろうか。

”ながらスマホ”ではないが、中途半端に幾つものことをやろうとすれば集中力は分散してしまう。集中力は”集中する”ことに意味があるのに正反対のことをしていてはまさに矛盾している。それはアクセルを踏みながらブレーキを踏むこととは違う。雪道ではアクセルを踏みながらブレーキを踏むことでタイヤの空転を抑える事もできるが、気を散らせながら集中することはできない。

アクセルとブレーキは別系統の仕組みだが、集中する事も気を緩める事も一つの頭がやる事であって、交感神経と副交感神経が並び立たないことを考えればすぐにわかる。

つまりヤルのなら、ちゃんとケジメをつけて決めたこと以外はやらないという割り切りこそが精神を解放するのではないかと思うのだ。そうしてボクの一夏のワーケーションはどっちつかずのまま失敗に終わった。