もう随分前から「自分探し」が流行っている。自分が本当にやりたいこと、やるべきことを探して自分らしく生きようということらしい。自分が本当にやりたいことがわかるなら、それが実現できるならこんなに素晴らしいことはない、ように思う。やりたいことだけをやって生きていけるなら、おそらくそれは万人の夢なのではないかと思う。

しかしそれが本当の意味で自分を解放するということになるのだろうか。もし自分がやるべきことが見つかったとして、そのことだけにこだわって他のことに見向きもせず一心不乱に突き進み、他のことに気を取られようものなら「フラフラと落ち着かない!」と他人から非難されることを心配したり、「自分自身の心が弱い」と思って自分を責めてしまうことにはならないのだろうか。

例えば、運河で有名なイタリア・ヴェネチアのゴンドラーレ(ゴンドラ漕ぎ)。代々続くゴンドラ漕ぎの家のせがれは、自分もゴンドラーレになることが定められた運命だと思ったりもっとも自分らしい仕事はゴンドラーレだと思い込むかもしれない。政治家一家や学校の先生一家、医者一家なども短絡的にそう思い込む可能性はある。

世襲制でなくても、サッカー選手になりたい、建築家になりたい、漫画家になりたいなどと夢を膨らませる人も多いだろう。別に悪いこととは思わないが一つに決めたら何があってもその道を最後まで貫くということが一つの美談になっているような気がする。

大人になって成熟するということは、一つのことにこだわりを持って他のことには目もくれず、他の可能性は全て捨てて一つのことに突き進むことなのだろうか。それでは成熟した人ほど面白くない人になってしまわないだろうか。