聞いたこともないものを名産品だと言われてもにわかには信じられない。今や日本中に名産品は溢れているしその全てを食べてみることは事実上不可能だ。だがそれらの中で自分の郷里のものだったり過去に旅行して楽しかった土地のものが混じっていたら、全くの見ず知らずのものよりは愛着を感じるのではないだろうか?

どこの馬の骨かわからない政治家よりも、どこの馬の骨か分かっている政治家の方が少しは信用できる。聞いたこともないものよりも知っている産地(行ったことがなくても)のものは美味しく感じる。そして自分が行ったことがあるならなおさらだ。たとえ自分が行ったことがなくても、友達が行った時に「美味しかったよ」「よかったよ」と聞かされていれば他よりは良さそうに感じる。

「他より良さそう」。安倍政権に限らず日本人が与党や内閣を支持する一番の理由だ。ある意味で日本人は消極的でビビリだ。だから知らないものには強い不安を感じる。だから選挙運動では立候補者の名前だけを連呼する。毎日々々、名前を聞かされていれば、どこかの馬の骨もなんとなく知ってる人のように錯覚してしまう。

洗剤でもトイレットペーパーでも最初に一度使ってしまえば、よほどその商品に不満を感じない限りは次も同じものを買う。それは一度使って”知っている”からだ。だから新製品を売り出す時には試供品をタダで渡して、とりあえず使わせるように仕向ける。誰もが「使ってもらえば良さがわかる」と言うが大抵の場合、良さや違いを感じることはない。「使ったことがある」という既成事実を作るためだ。

多くの人は自分の郷里の名産品を自慢するし本当に美味しいと思っている。でもそれは「他のものを知らない」だけだったりする。実際に食べ比べをしても味の違いなどわからないことは多いし、そもそも味は個人の好みだ。

何かを漠然と見ていても知らないものは見えないとはよく言われることだし事実でもある。いくらいいものでも知られていなければ”ない”のと一緒なのだ。