中学生の頃、ボクはバスケット部にいた。細かいことはあまり覚えていないがその中でも記憶に残っているのは臭くて汚かった部室と朝晩に練習していた体育館のステージの上で抱き合って(組み合って?)寝技の練習をしていた柔道部を「楽でいいなぁ」と思ったことや、夏休みの合宿で学校に泊り込んでの1日中練習したら夜には階段が1段も登れないほどの筋肉痛になった思い出くらいだ。

その中でも印象に残っている言葉がある。その時に顧問だったモリオ先生から言われた言葉だ。バスケットボールはご存知の通りボールをパスやドリブルで繋ぎながら相手のゴールにシュートするスポーツだ。

自分たちが味方同士でパスを回していれば相手はそのパスをカットしようと邪魔しにくる。だから味方にパスをするときも相手のパスをカットしようとするときも、自分から離れたところに飛んできたボールに向かって飛びつくのだがどうしてもわずかに届かず指先をかすめてちょっと触れただけでボールが取れないことがあった。するとモリオ先生は必ず言った。

「触れるボールなら届くはずだ!」
「だから触れるボールなら絶対に掴めると信じて飛べ!」

もちろん冷静に考えればどんなボールでも取れるわけではない、と思う。でも最初から「取れるわけがない」と決めつけてしまったら取れるボールでさえ取れなくなってしまうということを言いたかったのだろうと思う。

何でも自分で限界を決めてしまうことはある。それはバスケットに限らず楽器に演奏でも同じだ。現実離れした難しい曲を演奏しようとした時に、「そんなこと無理だ、できるわけがない」とやる前から諦めてしまったら永久に演奏できるようにはならない。もし誰かがその曲を演奏する姿を見ることができたら、「同じ人間だし、あの人にできるんだから自分にもできるはずだ」と信じて練習するかもしれない。例えそれが雲の上の憧れのプロのミュージシャンだったとしても。

ボクらが子供だった頃にはまだビデオすらそんなに普及していなかった時代だからYou Tubeなど望むべくもない。プロのテクニックやライブ演奏をテレビですら見る機会はほとんどなかった。たまに東京で行われたフィルムコンサート(ライブの画像を映画館で上映していた)を見に行って食い入るようにその映像を頭に焼き付けようとしたりした。

それでも生きた人間が目の前で(スクリーンの中で)実際にやっている姿を見せつけられると「やればできるんだ!」と勇気をもらったような気分になった。もちろんいくらやってもできるようにならなかったこともたくさんある。しかしそれは「まだ自分の努力が足りないからだ」と思っていた。やってできないことなんてないのだと思っていた。

限界を作ってしまうのは自分の心だと思う。最初から無理だと思ったら絶対にできるようにはならない。途中で諦めたら絶対にできるようにはあならない。触(さわ)れるボールには必ず手が届いて必ず掴めるのだと信じることが大切なのだと思っている。