ここでコラムを書き始めて3年になる。コラムの本数は1,000本を超えた。1本がだいたい2,000文字とすれば2,000,000文字、400字詰の原稿用紙で5,000枚になる。その一つ一つの文に思い入れがあるかといえば別にそんなこともない。ただ何となく書いている。書き始めた頃は「毎日何かしら書くことが鍛錬になる」と思って始めた。鍛錬になっているのかどうかわからない。

別に読んで面白いことが書いてあるわけではない。積極的に読者を増やそうとも思っていない。増やそうとするならそれなりに書くことも選んで読む人に興味のありそうな共感してもらえる内容にした方がいいに違いないが、そういう欲もないのでダラダラと書き散らしている。だから恐らく自分にとっての鍛錬にも何もなっていないのだろう。

それでもただ続けることに意味はあるのだろうか。曲がりなりにも続けるからには少しでも進歩していかなければ意味がないのではないだろうか。進歩しなくても続けていればそのうちにひょんなキッカケで悟りが開けるようなことがあるのだろうか。中学生の頃、フォークギターを始めたのはいいがどうしてもFのコードが押さえられずに苦労していた。それが毎日練習を続けるうちにある日突然弾けるようになった。あの時の感動は今でも忘れない。

ついさっきまでまったく見えなかった景色がある時を境に急に開ける。山歩きをしていてもそういうシチュエーションに出会うことは少ない。一歩一歩登るにつれてだんだんと景色が開けていく。この先に行けば景色が良くなりそうだなという予感がする。だからその先に素晴らしい景色が広がっていたとしても感動が少ない。悟りを開くとは恐らく、何かが天から降りてくる感覚なのではないかと思っている。

だから続けている中でだんだん良くなってきたという感じがしなくても、ある時ボクの頭上に突然神が降りてくるのではないかと信じて黙々と書き続けている。死ぬまでに神は降りてこないかもしれない。いや恐らく降りて来ないんじゃないかな。きっと降りて来ないだろうな。それでもいいのだ。続けることに意味がある。継続は力なり。