今年使うべきもっとも強力な手法

■ ガイジンが見たニッポン
最近日本に住み始めた外国人を集めて、毎週テーマに沿って議論させるテレビ番組があります。アメリカ人、中国人、ロシア人、ザンビア人、タイ人などあちこちの国からビジネスや留学などで日本にやってきて、数ヶ月から数年間の在留経験を持っている人たちです。彼ら、彼女たちは日本独特の風習やいろいろなモノについて海外の人たちから見た日本人の特殊な考え方に自分の意見を述べるわけです。テーマは毎週異なっていて例えば日本の家だとか温泉だとかラーメンだとか、いろいろなものが取り上げられます。
その中で面白かったのが魚料理について議論していた時のことです。日本人は普通ししゃもを食べる時には丸焼きにして頭も尻尾も全部を食べます。ガイジンたちはそれが気味悪くて食べられないというのです。「だって魚と目が合うじゃない?」(笑) そうかなぁ?気にしたことないけどなぁ。

■ ニッポン人が見たガイコク
それはもしかしたら以前にテレビで見たオーストラリアの原住民アボリジニたちが芋虫を炒めて食べる様子に似ているのかも知れません。日本でもイナゴや蜂の子を食べる地域は今でもあります。かつて動物性タンパクに飢えていた頃、簡単に手に入る昆虫やその幼虫を食べることは理にかなっていますから、当時の人にとっては至極当然のことだったに違いありません。もちろん沿岸に住む日本人が鯨肉を栄養源としていたこともです。それについての賛成反対の議論は感情的になってしまい埒が明かない様相ですが、厳然としてそういう歴史があったことは事実なのです。ただ現在の状況がどうなっているのかについては十分に検討する必要はあります。うなぎやクロマグロ、スルメイカ、アジ、サバ、タコなど多くの水産資源が枯渇しつつある中、「今まで獲って食べていたんだから」と漫然と乱獲していいことには決してなりません。もしニッポン人に自制心というものがあるのなら、ただ安いからとマグロや鰻を欲の欲するままに食べ続けていいのでしょうか?
話が関係のない方にズレてしまいました。つまりそれぞれの食文化にはそれぞれの物語があるということです。

■ ガイジンが見たニッポン
ガイジンがししゃもの丸焼きを食べるときに何も考えずに手に取れば、魚を生きたまま丸かじりするかのような感覚に囚われて「気持ち悪い」と感じるのかも知れません。ところが日本という国の歴史の中で、どんな人々がどんな状況で生活し、ししゃもを丸焼きにして食べるに至ったのかを知ることでそれは「日本の文化」と感じて受け入れられるようになることもあるのです。
人がその料理を食べるときには、その背景にある物語も一緒に食べています。自分がその物語に共感を覚えた時、それはただの食べ物ではなくなっています。それは古代ローマ人が食べたであろうキリンの肉でも古代エジプト人が食べたであろうサソリの炒め物であってもです。

■ 人はその物語に共感すれば味方になります
だから最初は目が怖くて(気持ち悪くて)食べられないと言っていたししゃもでさえも、それが食卓に供されるまでの背景を知ってからは「これぞ日本の文化だ」と言って美味しそうにかぶりつくのです。始めはおせち料理の田づくりさえ食べられなかったドイツ人が、です。
それだけ物語を伝えるということは大切なことです。かつて一世を風靡したSONYのウォークマンやビクターのVHSビデオ。その開発物語を知れば無機質なその工業製品に寄せる想いすらも高まります。私たちはできる限りそのサービスや商品の陰にあるストーリーを、さりげなく匂わせてファンを増やしていくことが可能なのです。