日本人は他で起きていることになぜ学べないのだろうか。熊本地震の時には当時の県知事が記者会見の場で「熊本でこんなことが起きるとは思いもしなかった」と言い放った。この人はバカなのではないかと思った。背後には世界でも有数のカルデラである阿蘇を持ち、中岳は今も噴煙をたなびかせている活火山だ。そして自らを「火の国」と称しているにも関わらず、どうして大地震が起きないと思ったのだろう。

古くから諺でも「温故知新」と言われている。「古きを温ねて新しきを知る」という言葉の意味は広いが、要するに「過去の経験や知見を活かせ」ということだろう。また違う意味だが別の諺では「他人(ひと)の振り見て我が振り直せ」と言っている。他人に悪いところがあればそれを見て反面教師とせよということだろう。

自然災害や伝染病のパンデミックは”悪いところ”ではないが、それに対応する人間の所作には成功も失敗もある。少なくとも「そういう自体が起こりうるのだ」ということは間違いなく知見の一つになるはずだ。

しかし人間は他人にとてもいいことがあると「自分にもいいことがあるかもしれない」と簡単に信じるくせに、それがどんなに悲惨なことだとしても悪いことををわが身のこととして実感する力が弱い。「自分だけは大丈夫」「私がそんなことになるはずがない」と思い込む。正常化バイアスと言われている。

新型コロナでも、さすがに過去に病気をして死にかかったり痛い目にあった人は経験者なので悪い想像もできるが、若い世代は今までに病気や老化に苦しんだ経験が少ないから自分だけは大丈夫だと思い込む。実際に若い人は比較的基礎体力があるので重症化することも少ない(と言われている)。

しかし今の日本ではどこに住んでいても地震や台風、洪水などの自然災害から免れる場所はない。どこで何が起きてもおかしくない。それでも「今までは大丈夫だった」「そんなことが起きたことはない」と言って避難することすらしない人もいる。

それがアメリカやブラジル、フィリピンのリーダーのような立場の人だったら国民が巻き添えになる。所詮、政治家はいつでも何が起きても選挙のことしか考えていない。

想像力を働かせられるのは他でもない自分自身だけだ。何をどこまで想定するのかはそれぞれの考え次第だが、後になって「こんなことになるとは考えたこともなかった」などと泣き言をいうのは寂しいことだ。後悔先に立たず。悔やむのはいつも事が済んでからなのだ。