今の若い子たちは生まれて物心ついた時からインターネットがあってメールがあって、中にはSNSが標準で電話などかけたこともないという人すらいるらしい。ボクたちの青春時代からは想像もできないくらいの”新しい生活様式”だ。ボクたちは電話が標準でFAXが家にあったという子供は稀だった。当時、電電公社(NTTの前身)では、

♪電話にFAX取り付けて、ダイヤル回してボタンをポン!♪

なんていうコマーシャルが大真面目に流されていたが、ゼロックスもなく青焼きやガリ版刷り、郵便で育ったボクらには「電話でコピーが全国どこでも送れます」というテクノロジーに度肝を抜かれた。それも郵便のように何日もかかるわけではない。一瞬だ。

新幹線でも飛行機でも、何もかもがスピード化すると”待つ”ということが苦痛になってくる。我慢がきかなくなる。妊娠検査薬もインフルエンザの検査も3分も待てばたちどころに結果が出る。だから今話題の新型コロナのPCR検査の結果が出るまでに何日もかかるなどと言われると「何をグズグズしている!」と怒り出す人までいる。

LINEでもメールでもSNSでもPCR検査でも、即座に結果や反応が返ってこないと我慢できなくなってしまっている。昭和の初め頃には東京から九州や北海道に行くには船や列車を使って何日もかかっていた。いや江戸時代までは九州だってどこだって庶民は自分の脚で歩いていかなければならなかった。そしてそれが当たり前だった。
ところがテクノロジーが発達して移動も通信も瞬間的に行えるようになるとすぐに返事が返ってこないと「いつまで待たせるつもりだ!」などと言い出す。許容する力がどんどんと弱くなってくる。

先日、メールで出した問い合わせに翌日に「まだ返事はないのか?」と督促する人を見かけた。「まだないですね」というと「やる気あんのかね?」とちょっとおかんむりの様子だった。ボクらがパソコン通信を始めた頃にも電子メールというものはあった。あるにはあったが携帯メールのように♪ピンポーン♪と届くものではなかった。アクセスポイントに電話してプロバイダのサーバーに繋いでメールが来ているかどうかをわざわざ確認しなければならなかった。

だから当時は急ぎの用件をメールで伝えるのはナンセンスだった。相手はメールが来ているかどうかを週に1回しか確認しない人かもしれないからだ。それでも急ぎで連絡するには「今メールを送ったから見て!」と電話したりしていた。電話で用件を伝えた方がよっぽど早いのに、「電子メールを使う」ことがカッコよかった。

人生には、何かのアクションを起こして反応があるまでには長ければ数年も時間がかかることだってある。宇宙の話になればほんの太陽系の中の事ですら音速をはるかに超えるロケットを打ち上げたって地球に返ってくるまでには何年もかかる。

メールやメッセージが当たり前になってなんでも一瞬でカタがつく生活に慣れてしまうと5分、10分が我慢できなくなる。ネット通販も翌日に配達されないと「遅い!」と怒る。でもそんなに急がなければいけないものが普段の生活の中にどれほどあるのだろうか。「まだ来ない!」とヤキモキするよりも「今ごろ一所懸命に考えながら返事を書いてくれてるんだろうな」とやさしい気持ちで楽しみに返事を待っているのも乙なものではないだろうか。