スマホを見ながらスクランブル交差点を歩いている女性がいる。女性の右側から直角に歩いてくる男性がいる。二人はお互いに相手の存在に気づいていない。あ、ぶつかる!と思ったその時、二人はとっさに相手を避けようとして同じ方向に向きを変えて歩き続けようとした。ドカン!という音こそしなかったが二人は正面からぶつかってスマホがアスファルトに落ちた。小さな”交通事故”だ。

小型船舶免許の試験では、何かの危険を感じたり相手の船がどう動こうとしているのかわからない時には「まず止まれ!」と教わる。正解の対処方法が他にあったとしても、まずは止まれと教わる。船だけでなく人や車も止まっていれば事故にはならない。先ほどの二人も「ぶつかる!」と思った瞬間にお互いが止まっていれば事故にはならなかった。止まらずに”避けよう”としてぶつかった。

歩いていても車やバイクを運転していても、ほとんどの人は止まらずに避けようとする。止まってしまうより上手く避けられるならその方が得なような気がする。止まってしまったらもう一度大きなエネルギーを使って走り始めなければならない。舵を切って上手く衝突を避けることができればスピードを保ったまま走り続けることができる。

子供の頃に黄色信号はなんと教わっただろうか。「黄色は注意」だ。青は進め、赤は止まれ、然るに黄色は注意だ。注意とは何を指すのだろう。注意して進むのか速度を落として走るのか。でも車を運転しているほとんどの大人は青が黄色信号に変わるとアクセルを目一杯踏み込んで加速する。少なくとも注意しているようには見えない。

今のボクにとって車に乗っている時の黄色信号は「止まれるものなら止まれ」だ。限りなく赤信号に近い。交差点でこちらに信号が黄色から赤になれば交差する方向や横断歩道の信号機が青信号になる。青信号になれば車や歩行者は勢いよく飛び出してくる。赤信号を待ちきれずに交差する道路の信号が黄色になったら飛び出してしまう人は日本全国の交差点や横断歩道で目にする。

つまり黄色信号は走り抜ける車にとっても赤信号で待っている歩行者や車にとっても「もうそろそろスタートしてもいんじゃね?」という事故の起こりやすい一番危ない瞬間である。その交差点をアクセルを踏み込んで加速しながら猛スピードで通過するのはどうよ、と思って可能な限り止まるようにしている。

いや若い頃は決してそんなに殊勝ではなかった。ほとんどの人と同じようにアクセルを踏み込んでいた。時には黄色のうちに通過できずに赤信号の交差点に突っ込んだことも一度や二度ではない。もう時効だ(と勝手に決める)。でも最近は他の人の運転や歩行者の動きが信用できなくなっている。もちろん昔から何をしたいのかわからない人はたくさんいたが、若い頃は自分の瞬発力で避けられると思っていた。だから随分と無茶もした。

ところが中年になって小さい文字が見えなくなったり暗いところでものが見えにくくなったり、とっさの反応が若い頃と比べて鈍くなっていることを自覚するようになるとあらゆることに慎重になる。特に他人に迷惑をかけてしまうようなことには慎重になった。

隣にどこかのおばあさんがいれば、その人が歩き始めてどの方向に進もうとしているのかを見極めてからぶつからないように自分が歩き出すようになる。待つといってもほんの1〜2秒だ。ムキになってゼロヨン競争のように突進して勝った負けたというような話ではない。

それでも周りを見渡すと、いい歳をしてもムキになって先頭を争う人がほとんどだ。ボクはもうそんな競争に参加しようとは思わない。コンマ何秒早くスタートを切ったところでコンマ何秒早く着くだけだ。その得したコンマ何秒の時間で自分に何ができるのかを考えるとバカバカしくなる。そんな競争から足を洗ってから毎日が穏やかでストレスのない生活を送っている。自分が止まって考えることはボクの精神にゆとりを与えている。