立つ鳥跡を濁さず

日本人ならほとんどの人が知っている諺だ。水鳥が飛び立ったあとの水辺は、濁ることなく清く澄んだままであることからそういうのだという。立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末をしていくべきという戒め。また、引き際は美しくあるべきだということはおそらく多くの日本人の持っている美学であり心の奥底にある精神だ。

ハンバーガーを食べるときにも日本人は包み紙に包んだまま持って食べるが、ガイジンは中身を取り出して素手で持って手をケチャップでベタベタにしながら食べる。「汚いじゃないか」と言うと「手をベタベタにした方が美味いんだよ」と言う。とても理解できない感覚である。

日本人には古来から庶民であっても食べ物を素手で食べるという習慣がない。焼き芋だって新聞紙に包んで食べるのはごく普通だ。もともと日本語の「手を汚す」「手を染める」という言葉には悪い意味しかない。政治家や官僚は悪の道に手を染めたり賄賂に手を染めたりするしヤクザは薬物の密売に手を染める。

旅行で日本を訪れる人も日本に住んでいる人もレストランや居酒屋などで食事をした後でお皿を片付けたりテーブルを拭いたりすることはないという。それは後片付けのためのお金も払っているのだから当たり前だという。そのあたりの感覚が理解できない。お金がどうのこうの以前にグチャグチャのテーブルを見て気持ち悪くないのだろうか。

日本人はテーブルにお醤油をこぼしたりすればついテーブルを拭いてしまうし、食べ終わって帰るときには大きさ毎にお皿を揃えて積み上げたりしてつい片付けてしまう。それがアタリマエなのだ。

日本では学校で掃除をしたりすることが普通に行われているから片付けるのが習慣になっているんだというガイジンもいるが、日本人からすれば学校の掃除以前の常識であり躾でもなんでもない。身の回りを綺麗に保っておくことはアタリマエだし気持ちがいい。テーブルの上を常にグチャグチャにしているガイジンでさえ、「綺麗に片付いていた方が気持ちがいい」と言っている。それでも彼らは自分で片付けることをしない。

これを文化の違いだと片付けることは簡単だが果たしてそれだけなのだろうか。日本人でも若い人の中には「お店の人によく思われたいから」という人もいるが常識的な日本人なら最初からそんなことは思わない。テーブルを綺麗に保ったり使った後のお皿を揃えておくことなど「アタリマエのコンコンチキ」なのだ。

飛行機の国際線に乗るとよくわかる。長旅を終えて飛行機を降りるときにファーストクラスやビジネスクラスの座席の横を通ると欧米人や中国人が座っていた座席の後は例外なく目も当てられないくらいにゴミが散乱していてグチャグチャに散らかっている。

旅館やホテルでもガイジンがチェックアウトした後の惨状は悲惨である。清掃係にイジワルしてわざと汚していったのではないかと思うくらいだ。グチャグチャに濡れたバスタオルを平気で布地のソファーに置きっぱなしにする。次に使う人が困るだろうとか気分が悪いだろうなんてことはこれっぽっちも考えない。日本人から見れば非常識な輩でしかない。これを単に文化の違いといって片付けていいものだろうか。

濡れたタオルならグチャグチャでもいいからせめて浴槽の中に放り込んでおけないものだろうか。たぶん自分たちはグチャグチャのタオルで濡れたソファーにも平気で座るから気づかないのだ。言ってみれば鈍感なのだ。そんな彼らは日本人を見て言う。「日本人は細かすぎる」「もっとおおらかになるべきだ」と。大きなお世話である。郷に行ったら郷に従え、ローマに行ったらローマ人になるべきだ。

過去の経験から言えばガイジンに人のことを思いやる気持ちはない。常に自分のことしか考えていない。新型コロナがアジアに比べて欧米、特にアメリカで爆発的に流行しているのもこの辺りに起因しているのではないかと言われている。この際ガイジンも日本を見習って「新しい生活習慣」に切り替えた方がいいと思うのはボクだけだろうか。

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