マザー・テレサ

「マザー・テレサ」の名は誰でも一度は聞いたことがあるだろう。コソボに生まれ、インドでホスピスや児童養護施設を作るなど、様々な社会奉仕活動を行い、のちにノーベル平和賞を受けたことでも知られている。彼女はこんな言葉を残している。

 飽くことなく与え続けてください。
 しかし残り物を与えないでください。
 自分が傷つくほどに与え尽くしてください。

奪い取るのが「恋」であり、与え続けるのが「愛」だと誰かが言っていた。与え続ける?何を? だから愛をだ。恋は自分のことを考える。奪い取って自分が幸せになろうとする。愛は相手になりきって与え続けることで相手と自分が幸せになる、という。正直なところボクにはまだわからない。寄付をしたりボランティアをしていてもそこにはいつも打算が見え隠れしている。

「しかし残り物を与えないでください」

考えてみればボクの善意(のつもり?)はいつも残り物だ。自分が使ったあとの、もうあまり未練もなくなった残り物を差し出しているだけだ。自分が大切にしているものは差し出さない。あげるのはもったいないと思う。たぶん本来の”もったいない”とは違う意味で出し渋っている。自分が損をしてまで差し出すのは嫌だと思っている。

でも誰だってそう思っていないだろうか。お腹が空いて我慢ができないときに、せっかく手に入れた食べ物を全部差出せるだろうか。先に自分が食べて、残った分を差し出すのが普通ではないのか。それでも彼女は言っている。「自分が傷つくほどに与え尽くしてください」と。

ボクは今、狡い言い方をした。「誰だってそう思うはずだ」と。他の人だってそうじゃないかと。だから自分が残り物を差し出すのは間違っていない、差し出さないより差し出しただけ善人じゃないか、と。

たぶん自分より下を見てそれに合わせようとしてはいけない、ということなのだろう。誰それはあれくらいしか頑張っていないんだから、それよりはちょっとだけ頑張っている自分はいい人なんだ、と思われたいのは人の性だ。それでも聖人はそう思わないのだろう。

自分のことばかり考えてはいけない。常に与え続ける人でいなさい。そう言われているのはわかっている。わかっているのに行動できない。そんな人はなかなかいないしボクは一生そんな人にはなれそうもない。いつも自分のことばかり考えているさもしい人間だ。だからきっと地獄に行くのだろう。そのときになって閻魔様の前で泣いて頼んでももう遅い。だからボクはきっと地獄に行くのだろう。

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