常用漢字

ご存知のように日本の漢字界(そんなものがあるのかどうかわからないが)には当用漢字や常用漢字というものがある。当用漢字は戦後になって国語審査会が定めた1850の漢字のことをさす。その後、昭和56年(1981年)になって今度は常用漢字表という1945文字が定められたために当用漢字表は廃止された。その後、平成22年(2010年)になって2136文字と改められて今に至っている。

常用漢字表は漢字の使用を制限するものではなく使用の目安を示したものに過ぎないが、日本の学習指導要領では読みを習う漢字は常用漢字ということになっており、新聞やテレビなどの報道機関が使う漢字もほぼ同じようなものに限られている。つまり日本人が日常目にする漢字は事実上、この2000文字ちょっとに限られている。

漢字の本場、中国には数十万文字以上の漢字があると言われているが、実際には中国でも2500文字の常用漢字が定められており、準常用漢字の1000文字を加えた3500文字が決められているのだという。つまりカナのない中国でも3500文字程度で日常生活には事足りるということなのだろう。

意外なことだが常用漢字には”地名専用”や”都道府県名専用”と定められているものもある。例えば岡山県や福岡県に使われる”岡”は都道府県名専用だし、埼玉県の”埼”や茨城県の”茨”、大阪府の”阪”、山梨県の”梨”、栃木県の”栃”も同様である。普段から見慣れているし書き慣れているので「なんで?」という気がしなくもないが、そう言われれば「岡」、「梨」以外は都道府県名以外ではほとんど使われなかったりもする。

それはさておき、当用漢字や常用漢字を定めたのは一般に使われる漢字を無意味増やすことで混乱を防ぐという意味でわからないではないが、どうして教育指導要領にまで定めてしまったのだろう。もちろん学校教育の中で習う漢字が膨大になれば生徒も先生も負担が増えてしまうことは間違いない。それなら小・中学校の義務教育だけでもよかったんじゃないかと思う。

高校以上は曲がりなりにも高等教育だ。政府も授業料無償化の議論の中でそう言っている。高等教育で扱う教育の範囲を定める必要はあるのだろうか。例えば大学でアインシュタインの「相対論」は教育の範囲に含めてはいけない、などと言ったらナンセンスだ。義務教育は国や保護者などが”最低限の教育を子供に受けさせなければならない”という意味で、「最低限とはここまでのことですよ」とガイドラインを示すことには意味があると思うが、果たして高等教育にそれが必要なのだろうか。

義務教育を終わって、その先で何を学ぶのかに制限をつける必要などないと思う。更に言えば、新聞などのマスコミがそんなものにとらわれる必要などないのだ。漢字の使用には少なからず”思想”が反映される。マスコミは何かと言うと「表現の自由を守れ」というくせに、こんなところで表現を制限されることには何も反論しないのだろうか。いささか不可解だ。「子供のため」という錦の御旗に慮って長いものにはすぐになびいてしまうのは報道の姿勢として如何なものかと思うのだ。

子供に名前をつける際の人名用漢字についてはまた別の話になるので、別の話題としていつか取り上げてみたい。

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