先輩後輩

先輩とは「神」であり後輩とは「奴隷」である。幼稚園や小学校ではそうでもないと思うが中学校や高校の部活動では先輩・後輩の区分は絶対的なものだ。仮に誕生日が1日でも違った結果、学年が違ってしまったということになればその扱われ方の違いは天と地ほども違ってくる。それが日本の「先輩後輩制度」だ。

大学生ということになるといわゆる”浪人”が大量に発生するので「歳は上でも後輩」や「同級生だが歳下」などということも普通になる。それはそれでより複雑な人間関係を醸し出す大きな要因にもなるわけだが、この先輩・後輩という立場は学校を卒業して何十年経っても変わらない。

いい歳をしたオッサンになっても学生時代の先輩がやってくれば敬意も払うしそれなりに気も使う。職場で10も上の役員にさえ頭を下げたことがなくても1つ年上の高校の先輩には頭を下げて敬語も使う。その違いは”打算”があるかないかだ。職場の上司に気を遣ってゴマをすればいいことがあるかもしれないが、学校時代の先輩に気を遣っても自分に直接メリットがあるわけではない。

それでも先輩をありがたいと思うのはあの頃、子供ながらに細々としたことをあれこれと指導してもらった恩もあるがそれ以上に幾つになっても後輩として可愛がってくれるからなのではないかと思っている。オッサンになれば50歳も55歳も同じようなものだ。小学生なら1年生と6年生の間には決して渡ることのできない大河が流れていたがオッサンにとってはほとんど変わりなくなる。それでも飲みに行けば”後輩”には職場の上司には絶対に期待できない優しい言葉をかけてくれるかけがえのない味方なのだ。

ところが海外には日本でいう「先輩・後輩」という概念自体がないらしい。「歳が一つ二つ違うからって後輩を奴隷のようにこきつかうのはおかしい」という。もちろん理不尽な仕打ちは先輩といえども許されるものではないが、ボクたち日本人にとってはその絆は外人なんかには決してわからない精神的なつながりなんである。

今の状況ではOB会などやるべくもないが、いつかまた穏やかな世の中になったらこんな状況をネタに酒を酌み交わしたいものであるよ。

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