おなごはいつも微笑んでおれ

先日Amazonプライムで映画を見ていたらいつもニコニコしている女房殿に仕事がうまくいかなくてイライラしている主人公の男が「何がおかしい!お前はなぜいつもそうしてヘラヘラ笑っていられるのだ!」と八つ当たりをするシーンがあった。女房殿はそれに答えて「亡くなった父が『おなごはいつも微笑んでおれ』と言っていたものですから」と言った。

人は笑っているからといっていつも楽しいと思っているわけではない。もちろん心から楽しくて笑えることもあるが悲しみや辛さを隠すために笑うこともある。人に泣いている姿を見せることも表現に一つだが泣いている姿を見せないことも強い意志表現だと思う。泣いている姿を見れば直接的にそれは悲しいんだなと思ったり辛いのかなと思うに違いない。

そんなある日、女房殿がいつものようにニコニコとしていたらイライラしている亭主に「お前は真剣になることがないのか!」と再び怒鳴られてしまう。そこで女房殿は「あなたには私の辛い気持ちがわからないのですか?」と言われる。人は笑っていればいつも楽しいというわけではないことを女房殿に諭されて初めて知る。

悲しさや辛さに耐えている姿を見ることで見た人もそれに共感して悲しくなったり辛くなってしまうこともある。他の人に悲しみや苦しみを伝染さないようにしようとして無理に笑っていることだってある。しかし心から悲しい思いをしたり辛さに耐えたことのない人にはその気持ちはわからないかもしれない。もちろんボクだってそんな経験はあまりないので本当の辛さなどわからない。

それでも少しはそんな気持ちを知ろうと思って小説を読んだり映画を観たりする人もいるだろう。若い時には劇中の人に感情移入できる心の柔軟さに溢れている。しかし社会に出て社会の裏面の汚さばかりを見ているうちに何を見てもしらけて見えてしまうようになってくる。そんな純粋な人間なんて世の中にはいないんだと思うようになる。仮にそんな人を見ても「裏には何かあるんじゃないか」と疑い深くなる。

きっと子供の頃には今よりももっと素直な心を持っていたような気がする。しかし大人になって誰かと話をしていても、お互いにそんな純粋な人間なんているわけがないことを前提にしてしまう。きっとそう信じていた人に裏切られ続けるから疑心暗鬼になってしまっているのだと思う。
本当に純粋な心を持った人を見極めるには長い時間がかかる。何があっても純粋な信念に従って生きる人を見つけるには曇った目で見ていてはわからない。自分も純粋な心で見なくてはわからないのだと思う。ボクは死ぬまでにそんな心を取り戻すことができるのだろうか。

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