拝聴すること

先日、ある会議の席で組織の長老と外部からやってきたゲストの担当者が意見を交わしていた。ゲストの担当者は長老の意見に逆らうことなど全く考えていないらしく首を縦にブンブンと振っては同意の意思を表すとともに「お説ごもっともです、はい!」と相槌を打っている。

長老はさぞかし得意満面になっているのかと思いきやそうでもない表情だ。どうやら自分が話し終わらないうちに「お説ごもっともです」を被せられるのが気に入らないらしい。それはそうだ。自分がしゃべっているときに話を遮られればその話に賛同していようがどうだろうが面白くない。「人の話は最後まで聞け!」が最低のマナーだ。そんな最低のマナーさえ守れない代表格が国会議員である。

相手の話を聞こうと思ったら自分は喋らないことだ。相手のことを知ろうと思ったら相手の話を聞かなければわからないからだ。「息子の考えていることがわからないんです」という親がいる。「いくら言っても全然話を聞いてくれなくて」と言う。だから「で、お母さんは息子さんの話を聞いていますか?」と聞くと「いえいくら言っても話を聞いてくれないんです」と繰り返す。だから「お母さんは話を聞いてあげていますか?」と聞くと「私が話を聞くんですか?」と言う。

相手のことをわかろうとするなら相手の話を聞かなければいけない。自分がいくら話しても相手のことはこれっぽっちもわからない。当たり前のことだ。相手の話をよく聞くには何があっても相手の話を遮らないで最後まで聞くことである。異論があるときはもちろんのことたとえ同意するときでさえ相手の話は決して遮ってはいけない。

遮られると賛同意見でさえ否定されたような気持ちになる。苦情を聞くときも同じだ。相手が「もういいでしょう」と思うまで言わせるしかない。先に我慢できなくなった方が負けだ。なぜなら自分の話を遮って話を始めるということは「自分の話を最後までちゃんと聞いていない」ということに他ならないのだ。

最後まで聞いた上で内容を理解して賛同するならまだわかる。しかし最後まで聞かないのに賛同するということは自分の話など最初から聞く価値がないと思っているのだと思われてしまう。果たしてそんな相手に心を開けるだろうか。

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