ながら

「ムーンライトながら」という夜行列車があった。ボクが学生だった頃には23:10東京発の大垣行きの普通列車で、酔っ払ってうっかり寝込んでしまうととんでもないところまで寝過ごしてしまうという油断ならない列車でもあった。幸いボクは寝過ごしたことはないが学生の頃にはこの列車を使って旅したことも多い。

JR豊橋駅から長野・塩尻方面の辰野という駅に向かう飯田線というローカル線に乗りに行ったことがある。豊橋から辰野までの195kmの間に94もの駅があるという山あいを走る路線で今では鉄道ファンにも人気の路線だというが当時は「オタク」という言葉もまだなく「鉄道マニア」はマイノリティであった。まぁいい、それだけの話だ。

「ながら」と聞くとそんな列車のことを思い出すのだが「ながら」はおそらく「長良川」のナガラなのだが、今回話題にするのは「ながら運転」のながらである。最近ではいついかなる時にもスマホを手放さない人が多い。仕事中や授業中、食事中やトイレなどでスマホに熱中している人はそこかしこにあふれている。何が彼らを惹きつけるのかわからないがそれはひとまず置いておく。

それはもう何かをし”ながら”スマホを見るというレベルではなく「スマホを見ながら運転する」「スマホを見ながらテレビを見る」「スマホを見ながらご飯を食べる」「スマホを見ながらおしゃべりをする」というほどにスマホに熱中している。スマホを見ながら車を運転するなどもってのほかだが実際に道路を歩いていると半分くらいのドライバーはスマホを見ながら運転をしている。いやスマホの合間に運転していると言ったほうがいいだろう。

人は何かに集中すると他のことには意識が行かなくなる。コンピュータにはタイムシェアリングシステムというものがあって2つ3つの仕事を並行して進められるようになっているが、実はこれも究極のながら作業に過ぎない。ごく短時間だけ1つの仕事をして次にまたごく短時間だけ別の仕事をこなしている。トータルで見れば同時に2つの仕事をしているように見えてもある瞬間にこなしている仕事はたった一つだ。もっとも最近ではデュアルコアやクアッドコアなどというCPUがあるので人間でいえば脳が2つも4つもあるような人だと考えてもいい。

聖徳太子でもなければ普通の人は2つのことを同時に考えたり判断することはできない。スマホを見ている間は運転することはできないのだ。だから本人は運転しながらスマホを弄っているつもりでもスマホの画面を見ている間は運転など全くしていないのだ。車は運転手のいない状態で勝手に走り続けている。たまたま障害物が現れないから事故が起きていないだけでその間に信号が青から赤に変われば気づかないで信号無視をすることになる。そんな時に事故が起きているわけで、それがいつ起こっても全く不思議ではない。

「ながら運転は集中力が低下する」などと言われるが実際には”低下”ではない。集中力どころか全く気を配っていない状態だ。スマホを見ながらテレビを見るという不思議な人もいるが2つのものを同時に見ることなどできない。昭和の子供がよくやっていたように自分のみたい2つの番組を同時に見るために常にチャンネルをガチャガチャと回し続けるようなものである。挙げ句の果てにテレビのチャンネルはすぐに壊れた。

そんなことをしているうちに今度はテレビのチャンネルどころか人間の脳のチャンネルが壊れ始めているのだ。今第一にすべきことがわからなくなってあらゆることに手を出そうとするようになる。自分の中で物事の優先順位がつけられなくなっている。やがて人生の中でもやるべきことが判断できなくなる。そうなってからではもう遅いのだが、まぁ自分の人生なのだから仕方ないよなと哀れに思うだけである。酔っ払ってムーンライチながらに乗ってしまうと気持ちよく夢を見ながら行くつもりもなかった岐阜県の大垣まで乗り越してしまうから気をつけましょうという教訓かもしれない。

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