什の掟

江戸時代、会津藩には日新館という藩校があった。以前に「八重の桜」というNHKの大河ドラマをやっていた時に幕末の会津藩のことが話題になったことがあった。東日本大震災のあった年の翌々年で福島が原発事故で大変なことになった直後だったため、ボクも「旅して復興」とばかりに猪苗代湖畔のお店でわっぱ飯を食べたり会津若松にある鶴ヶ城に行ったりした。夏のとても暑い時期で40℃を超える暑さのなか鶴ヶ城を散策した辛い思い出が蘇る。その時に目にしたのが「什の掟(じゅうのおきて)」だ。

会津藩には日新館の他にも身分によっていくつかの学校や寺子屋があったが、子供たちは町ごとに10人前後のグループを作ってこれを「什(じゅう)と呼んだ。このような子供だけが集まって寝食を共にする制度は淡路島を舞台にした北前船の高田屋嘉平を扱った司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」にも登場するので日本各地にもあったのだろう。

一、年長者言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
一、弱いものをいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬならぬことはならぬものです。

6番目は僕が子どもの頃にも解禁されていたがそれ以外は普通の家の昭和の躾だった。いつの頃からか日本でも「立って食べるのがお行儀です」と言わんばかりに食べ歩きが横行するようになったが、ボクが子どものころには家の中でも「立って物を食べる」ことなどもっての外だった。そう考えると日本人の道徳はその頃からあまり変わっていないような気がする。もっともボクらの世代のイヤラシイ男どもには7番目は論外だ。

最後の「ならぬことはならぬものです」とはたぶん「(理屈ではなく)決められたことは必ず守らなければいけない」ということなのだろう。中学や高校の頃には理不尽だと思える校則もあって「そんな決まりは意味ないじゃん」などと反抗してこれ見よがしに破ったりしていたが、「それこそがいけないことなのだ」と戒めているような気もする。

この掟は大人から教わるものではなく子どものコミュニティの間で自然に受け継がれてきたものらしい。年長者の言うことが必ずしも正しいとは限らないが年長者に限らず会った人とは挨拶をした方が清々しいし、理由の如何を問わず卑怯な振る舞いは褒められたものではない。弱いものいじめは卑怯者のやることだと相場が決まっている。どれも当たり前のことだが悲しいかなどれも今の日本人がなくしかけているものではないだろうか。今こそ300年前の日本の躾を思い出してみてもいいのではないだろうか。

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