主語を言わない日本語

日本語では主語を省略することが多い。会話に限らず文章でも多くの場合で主語が省略される。「昨日行ってきたんだ」と言われれば「(私は)昨日(どこそこへ)行ってきたんだ」という意味だろうと思う。だから「(あなたは)どこに行ってきたの?」と質問を返したりする。しかし「両親が行ってきたんだからそんなこと(どこに行ってきたかなんて)知らないよ」などというというトンチンカンな会話になる。主語がないから意味が伝わらないのだ。

先日プレイガイドにコンサートのチケットを買いに行った時のこと、あいにくお目当のチケットは完売していた。窓口の担当者は「このチケットは完売しているので…」と言う。だからボクは「ので、何ですか?」と訊いた。するとその人は「えっ?」と言ったまま黙りこんだ。だからボクは「完売しているからどうしろって言うんですか?」と聞き直した。ボクも会話を省略したので相手に意味が伝わらなかったわけだ。

スペイン語も主語を省略することの多い言葉だ。普段の会話でも本を読んでも主語が省略されていることが多い。しかし主語が省略されてもその後に続く動詞が格変化するので「誰が」という部分が自動的にわかるようになっている。
例えば「行く(=ir)」という動詞なら、
 (私が)行く    = (yo) voy
 (あなたが)行く  = (tú) vas
 (彼・彼女が)行く = (él) va
のように動詞が変化する。だから”私が”行くのならvoyだし”両親(ellos:彼ら)が”行くのならvanになるわけだ。この点で日本語のように省略してしまったら何が何だか分からなくなるということは基本的にない。

しかしこの「動詞の格変化」というのはその言語を勉強し始めた当初は曲者だ。一つの動詞について1人称、2人称、3人称とその単数、複数、線過去、点過去、受動態などいくつも覚えなければならないのだ。それを知って断念してしまう人も少なくないという。

日本語の動詞は基本的に格変化をしない。「(私が)行く」のも「(あなたが)行く」のも「(彼らが)行く」のも同じ「行く」を使う。だから日本語の場合は文節や前後の文脈から主語が何であるかを判断する必要があるのだが、短い会話の中だと文脈もへったくれもないので自ずと主語は不明確になる。「私が」やるのか「あなたが」やるのかを曖昧にしたまま会話を終わらせてしまうことがある。会議のときに「じゃあやりましょう」などと言っても誰がやるのかが不明確ではお互いが「相手がやってくれるもの」と思い込んでいるケースが少なくない。トラブルはほんの小さな出来事から始まる。

だからボクは普段からできるだけ主語や目的語を省略しないように心がけている。しかしあまりにも主語をバカ丁寧に省略しないでいると会話や文章がしつこくなって肝心の意味が伝わりにくくなったりする。だからできる限り前後の文章や文節の中に主語を分散させるようにするのだが、これが推敲や校正を面倒臭くする大きな原因になっている。そんな時には日本語にも格変化があればよかったのになぁなどと思ってしまうのである。

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